自分軸の作り方#59「ちゃんと泣ける子に育てよう」1章②本当はさみしかった。
「ちゃんと泣ける子に育てよう」前回の続きを綴っていきたい。今回は、「防衛反応」にスポットを当てている。
≪登場人物≫
先生・・・「ちゃんと泣ける子に育てよう」というテーマで、
三歳児を子育て中の二組の夫婦に 子育てについて教える。
ゆうたママ・・・子供が泣いていると、まわりから「しつけをせず、わがままに育てている」と思われ、他の子より劣っていると「ちゃんと育てていないダメな母親」と評価されると感じている。子供が泣くと「どうして泣くの!」とキレて、いつも自己嫌悪。
ゆうたパパ・・・子供なんて放っておけば育つ。泣かせないことが大事で、泣いても放っておく。自分も放っておかれた。
あゆみママ・・・幼い時から「周りの気持ちを考えなさい」と育てられた。あゆみが泣くと怖くなり、どうしてよいかわからず頭が真っ白になる。泣かせないように、先手先手を打つ。
あゆみパパ・・・厳しく育てられ、父親の役割はガツンとやることだと思っている。
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「子どもの心は傷つきやすいものですよ」と先生は語る。
怒り、悲しみ、憎しみ、不安、恐怖。そんなネガティヴ感情、不快な感情に支配されているとき、子どもは危険を感じている状況だ。
大人にとってなんでもないようなことに、子どもがおびえることがある。
夜に一人でトイレに行けないこと、外にお化けがいると感じたり、子どもの世界は大人よりはるかに想像力豊かで過敏で繊細で。
適切なサポートがないと、子どもの心は傷つきやすい。
危険から身を守るためには、「防衛反応」が働く。
それは「感じなくなる」「封印する」という防衛だ。
ネガティヴな感情が社会化(言語化)されていない子供は、体の中に流れる不快感に蓋をして、感じなくするようになりやすい。
感じていると危険な感情は、感じなくすることが、幼児期には簡単にできてしまう。
ネガティヴ感情が社会化されない子どもは、危険が降りかかってきても、その時の感情がなんなのかわからず、「不快なエネルギーの塊」としてしか経験されない。
特に親の側に「泣かないでほしい」「ぐずぐずしないでほしい」
「怒らないでほしい」という願い・期待があると、
親の期待に応えることになるので、
感情に蓋をすることが、簡単に達成されてしまう。
そして、子どもはネガティヴな感情を安全に抱えることが できなくなっていく。
あゆみママは言う。
「そんなに傷つきやすいとすると、どうやって守ったらいいか不安になる」
先生は答える。「泣いているときに抱く。これだけです。」
子どもが感じたままに泣くことが許されていると、
どこに恐怖を感じているのかを、親が観察できるので
「感情の社会化(言語化)」もできる。
そして泣いたときに抱いてもらえると、
子供は、「恐怖にさらされても安全だ」と学習できる。
あゆみパパ「俺らの子ども時代はなんだったんだろう。全く無茶苦茶に殴られて育ちましたよ。恐怖とか感じないようにしてきました」
あゆみパパのように、殴られて育ってきた場合、暴力を肯定しやすい。
「殴ることも必要。殴らない=しつけていない。」と主張することが多い。
ニュースでもよく流れているが、虐待の末亡くなった子どもの親は、かなりの割合で「しつけのつもりだった」と言う。
実際には、自分がネガティヴ感情を受け入れてもらった経験がないから、
それが良いものだと実感できないのだ。
子どもを育てるとき、
親の中では 自分の育てられた記憶が、長期記憶の倉庫の奥から引っ張り出されてくる。
言葉を身につける前の乳児期に、恐怖や不安にさらされた経験のある親は、子どもの泣き声を聞くと恐怖に襲われ、子育て困難に陥ることもある。それを知らないと「赤ちゃんを育てられないひどい親」という扱いを受けてしまったり、虐待に発展することも・・・。
子育てをしていると、子どもが三歳なら三歳の、幼稚園児なら幼稚園時代の自分の記憶が蘇り、自分の親がどうやって育ててくれたかを思い出す。
そして、子育ては誰に教えてもらわなくても、自然に受け継がれていく。
(ただし現代は育児書などの情報が氾濫していて混乱しやすい)
あゆみママ「私はよく泣く子供だった、って母は言います。それでよく叱られていました。しっかり者の姉と比べられて、妹が生まれたばかりの頃は、泣くと叱られ、たたかれたこともあります」
先生は答える。
ほんとはそのとき、どうしてもらいたかったかな?
お母さんに抱いてもらいたかったけど、妹がお母さんに抱かれていたから、我慢するしかなかったんじゃないかな?
3歳のあなたは
「さみしいよー」「不安だよー」「わたしを抱っこしてよー」って
叫びたかったんじゃないかな?
あゆみママ「そうなんですよね。(涙ぐむ)いま思うと、わたし超かわいそうでしたね。あんなにがまんしなくても、もうちょっと甘くてもよかったのに、って。
・・・私があゆみに泣かれると怖いわけが、わかりました。
あゆみが怖いんじゃなくて、
私の幼い時の記憶と向き合うことが
怖いんです」
あゆみパパは、あゆみが男だったら殴って育てていたと思っていて、あゆみが女の子だから救われていたと感じた。
そして、自分がキレやすいことを告白。
特に親に対しては、キレた後、何をしたか覚えていないくらいのキレ方をする。頭では父親が正しいと思い込もうとしてきたけど、なかったことにしてきた感情があったから、いい年した大人になっても、キレるんだ・・・と気づく。
先生はそのあと、こう続ける。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできた」第二次世界大戦のという悲劇の時代を乗り越えてきた祖父母世代の、悲しみの連鎖が残っている。と。
先生の話を聴いたゆうたのパパとママはこんな気づきを得る。
ゆうたママは、母親の過干渉が嫌だったのに、自分も過干渉になって自己嫌悪に陥っていた。
でも自分の育てられた記憶が無意識に引っ張り出されて子育てしていることを知り、自分の努力不足ではなかった、とわかって安心する。
ゆうたパパは、子どものころ、放っておかれてそれでいいと思っていたけれど、本当はさみしかったんだと気づく。
さみしさを認めてしまうと、どうしていいのかわからなくなるから、
放っておかれたことを肯定していたが、
放っておいたら子供は育つ、というのは逃げだった、と気づいて
自分が家族を守らなければ・・・と反省する。
そして先生は言う。
親は子供と一緒に育つもの。
完璧な子供を求めることが危険なのと同じで、
完璧な親を求めてはならない。
トラブルを経て
「ああ、そうだったんだ」と柔軟に学んでいくことが
親になるプロセスであり、
学ぶことで、子どもと分かり合っていくことができるようになるんです。
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短くまとめることができず、長文になってしまった。
ここまでお付き合いくださって、ありがとうございます。
自分の子育てを振り返ってみると、
「ちゃんとしつけをしないと!」という
プレッシャーを自分に架していたいたことに気づく。
私の母親も、よく子どもたちに
「うちの家がどう思われるか、考えなさい」と言って
世間体を大事にしていたなあ、と思い出す。
そして、自分の子ども時代を振り返ってみる。
「本当はどうしてほしかったの?」と
幼かったころの自分に寄り添ってみると
一番末の弟が かわいがられて
いつもお母さんのお出かけに連れて行ってもらえて
私は置いていかれて さみしかった。
それに、日曜日は家が忙しくて、どこにも行けなかったけど
もっと自由に遊びたかったし、親に遊んでほしかった。
という思いに気づいて
「さみしかったね。もっと抱っこしてほしかったね、わがままも言って、
自由に遊びたかったよね。」
幼い自分を抱きしめた。
そしたら、心の中にあった ワダカマリのようなものが溶けていって
気持ちが軽くなったなあ・・・と感じている。
自分の子育てが始まったとき
言葉ではわかっていた。「完璧な親なんて、いないよ」
誰かが悩んでるときには、そう声をかけていた。
でもどこかで、子育ての「結果」を出すことが、自分の評価として
周りに認められるようになることを、求めていたんだろうな。
そう。「仕事をするように、子育てをしていた」と思う。
子育ては会社勤めとは違う、親子の幸せな交流なのにね。
子育ては、毎日いろんな出来事にあふれていて
当たり前のように見えるけど 当り前じゃない。
二度と戻らない時間が積み重なっていく。
将来の幸せのために、厳しくしつけなくちゃ!と、
子どもに苦しい思いをさせるのではなく
今日、今。
こどもが安心感を感じることができるなら
幸せな時間が積み重なって
きっと明日も、未来も
幸せな家族でいられるんだと思っている。
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