あなたのおかげ、は麻薬だ。
あなたのおかげで助かりましたは麻薬だ。
気持ちいいでしょう、単純に。全ての不安や疲れが吹き飛ぶ。自分が誰かの役に立った。自分には価値がある。そう思わせてくれる。自分は無力かもしれないとおもっている人間にとって、これ以上の快楽はない。脳が言われたときの幸福を強烈に覚えてしまう。麻薬以外の何ものでもない。そして、また言われたいと突っ走ってしまう。その結果、周りが見えなくなる。行き着く先は、全部、自分のためだ。
現在放送中の朝ドラ「おかえりモネ」の12週60話の中での坂口健太郎さんが演じる菅波先生の言葉だ。
医者である菅波先生が主人公の百音に語った胸の内で、
私は放送以降この言葉が突き刺さって離れない。
(この言葉の背景は省略するが菅波先生の過去が初めて語られた瞬間でぐっときたので是非みてほしい)
(おかえりモネの良さについてつらつらと記事を書きたい、書くぞ)
私は高校と大学の7年間を部活に費やしてきた。
体育会の部活でマネージャーをしていて、
特に大学では心身共に疲弊している毎日だったけど、
マネージャーには同期も一つ上の先輩もいなかったので私が辞めたらこのチームを支える人がいなくなってしまう、後輩たちを育てるのも誰がやるんだ?なんていう若造の謎の責任感から辞められず、丸1日オフなんてほとんどなく、グラウンドのあるキャンパスと家と学部のキャンパスとバイト先を行き来する毎日を送っていた。
この生活で何度も身体を壊したし、たくさん泣いた。
いくつも掛け持ちして得たバイト代は部活の交通費や遠征費などに消えるし、勉強も頑張らなければならない学部にいたから毎日へろへろだった。
それでも辞めなかったのは、楽しいことも嬉しいこともあった、このチームにいなければ経験できなかったようなことがたくさんあった、全て放り出して辞める勇気がなかった、私の短所でもあるやたらと強い責任感ゆえ…色々と理由はあるけれど、
いちばんは選手や監督、コーチ、後輩のマネージャー達からの
「あなたのおかげで」
という言葉があったからだ。
高校生の頃、選手から初めてその言葉をかけてもらい、その瞬間から何に対しても自信がなかった私の世界がガラッと変わった。
「いやいや私なんて、なにもしてないよ」
必ずといっていいほどそんな風に返すけれど、心の中ではとび跳ねてしまうほど嬉しいし、必要とされているんだ!私なんかでも人の役に立てたんだ!そう思えて自信になる。モチベーションにもなる。
だから私はこの言葉をかけられるたびに最後まで頑張ろうと自分を奮い立たせて走り続けてくることができた。
社会人になり、人を支える仕事に就いて4年目になる。もちろん就活ではマネージャー生活のことをガクチカや長所として話したし、その経験が活かせるからという理由で決めた仕事。(シーズン真っ只中の部活との両立が苦しくていちばん最初に内定が出たからというのも大きな理由)
この仕事に就いたから、今でも「あなたのおかげで」という言葉は間違いなく私のモチベーションだ。
今まで、おかえりモネでこの台詞を聞くまで、
私は「誰かのために」働くことが好きで、向いていて、縁の下の力持ちでいることが天職なんだと信じて疑わなかった。
けれど、この言葉を聞いてハッとした。
あれ?私って「あなたのおかげで」と言われた時のとび跳ねるような気分の良さを求めてるだけで、その快感を得るために、自己肯定感を高めたいがために、誰かのためなんていう理由をつけて動いてるんじゃない?要は全部「自分のため」だったんじゃないか?
思い返してみると、誰かのために、とひとりで突っ走って抱え込み、結果周りに迷惑をかけたことが何度もあった。部活でも仕事でもだ。
これってまさに麻薬だ。快感を求めるが故、周りが見えなくなってしまってたんだ、と気がついた。
じゃあ私はこれからどうやって生きていけばいいんだろう?あなたのおかげと言われたくて動いて周りが見えなくなるのならそれは良くない。
そもそも結局は全て自分のためだったのなら私は人を支えることに不向きなんじゃないか?
これからはなにを目標として、モチベーションとしていくのが正解なんだろう?
けれど、この言葉とは別に、おかえりモネの中で答えになる言葉に出逢った。
100%自分のためにやったことが結果的に誰かのためになってっている、それがいちばんいいのかもしれません。
すとん、ときた。
高校生の頃から、誰かのためにと理由をつけて動いてきたけれど、それは結局自分のためだったとわかった今は
"自分が自信を持った生き方をしたいから"
"自分がこんな風になりたいから"
そんなふうに自分のために動いてみて、その結果、誰かを支えることができて誰かのためになっていたらいいなと思えた。
いつも誰かを主語にして考えていたけれど、これからは自分を主語にして考えてみようと。
100%自分のためでいいじゃないか。
今までそれは不純な動機な気がして、自己犠牲の塊でいることが美学なんだと信じていたけれど
全部自分のためでいいんだ。
それに、よく考えてみると、誰かのためにと動いて、その見返りとして「あなたのおかげ」でという言葉を求めているんだとしたらその方がよっぽど不純な動機な気がしてしまった。
誰かからの見返りは求めない、だって全て自分のためだから。
「あなたのおかげで」はたしかに麻薬だ。
この言葉をかけられたときの快感を何度も求めてしまう。
私はこの言葉を誰からもかけられない生活を送ることができないだろう。抜け出せなくなってしまった、手遅れだ。
だから、私は誰かのためじゃなくて私のために動く。
その結果誰かから「あなたのおかげで」
と言ってもらえたらラッキーだよね。
そんな風に生きていこうと思った。
今も昔も、きっとこれからも、私をうごかすのは「あなたのおかげで」という言葉だ。
2021.8.14 ぴぃ
これは例のセリフのシーンの菅波先生。
はぁ、来週もたのしみ。
ちなみに大学生活はへろへろだったと書いたけど、そうはいっても楽しく過ごしていたと今は思う。ありがとう、大好きな友達、家族、当時の恋人!