家を手放す 私が10歳の時に建てて高校卒業まで過ごした戸建てを売却するという知らせ。 自分の部屋ができた喜び、学校が近くなった喜び、たくさんの友達を呼んで遊んだ思い出・・・ 特別素敵な家でもなければ、広い家でもないし、隣には変人が住んでいたし、別に悲しくもないけれど、少し寂しい気持ちはあった。 それに最も気まずいと思ったのが、近所に住む小学時代からの友人や何回も遊びに来ていた中高時代の友達に訳アリっぽく見られることが嫌だった。 生活費をくれない 母はいつもそう言っていた
妹 妹の方が私よりも母とは仲が良かったように思う。 出かける時はいつも手を繋いでいたし、夜も一緒に寝ていた。 小学校高学年になっても夜中に起きて母のベッドへ潜り込んでいた。 今思うと父が不在の夜は多かった気がする。 そんな妹は寂しがり屋だった。 私は幼稚園に通ったが、妹は保育園で夕方まで預けられた。 小学校に入ってもパチンコとパートで母は夜まで不在がちだった。 私が帰宅すると妹はよく昼寝をしていた。 友達が遊びに来ていても友達を放置して一人で寝ていることもあった。 そんな生
積年の恨み昭和の終わりごろ、小さな地方都市で私、妹、両親の4人家族は暮らしていた。 その姉妹もすでに四十路を超え、親は古希を過ぎ、時は令和へ。 ある日の朝、妹からLINEで連絡があった。 父が母に家から追い出されたという内容。 きっかけは父の仕事に関わる口論だったが、ついに50年前からの恨みが大暴発したらしい。 昔の女性問題だった 妹が母から聞いた話によると若い頃から愛人が(同時期ではないが)何人もいたらしい。 妹が生まれて2カ月の頃、愛人が家に突撃してきたらしく、私たち
わたしについて 初めまして。 カナカナといいます。 どこに出しても恥ずかしくない中年女性です。 過疎化が進む地方都市で生まれ育ち、大学時代はまぁまぁ都会の県庁所在地に出たものの、時は就職氷河期。 でも時代のせいではなく、私は就職活動から逃げた・・・ただそれだけ。 やりたいこともない、自信もない、行動力もない。 なんとなくフリーターに。 そんな時にたまたま舞い込んだ就職の話。 不本意ながら地元に帰り正社員の職につくことができました。 その後は10年ほど勤めて結婚・出産し、