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父と母

積年の恨み

昭和の終わりごろ、小さな地方都市で私、妹、両親の4人家族は暮らしていた。
その姉妹もすでに四十路を超え、親は古希を過ぎ、時は令和へ。
ある日の朝、妹からLINEで連絡があった。
父が母に家から追い出されたという内容。
きっかけは父の仕事に関わる口論だったが、ついに50年前からの恨みが大暴発したらしい。


昔の女性問題だった

妹が母から聞いた話によると若い頃から愛人が(同時期ではないが)何人もいたらしい。
妹が生まれて2カ月の頃、愛人が家に突撃してきたらしく、私たち家族を捨てて愛人のところに行ってしまったという。
もちろん私たち姉妹には父親不在で過ごした記憶がないので、たぶんすぐに戻ってきたようだ。
いつのどの愛人か知らないがハワイ旅行に行ったこともあったとか。私たち家族とは海外はおろか国内旅行、なんなら休日のおでかけすらほぼ行ったことがなかったのに。
その事実を母は長年子どもたちには隠してきた。
たぶん墓場まで持っていくつもりだったのだろう。
でもついに積年の恨みが溢れ出てしまった。
きっかけは関係ない話。
父が事業の金策についてまた何か勝手なことを言い始めたらしい。


父は社交的で口達者で変わり者

父は6人兄弟の末っ子として生まれた。
あの事件の団体ではないが、昨今話題の宗教二世だった。
父の両親は活動に熱心なあまり、末っ子の父にまであまり手が回らず、年の離れた姉が母親代わりだったという。
一見、社交的で気のいい人物ではあるが、落ち着きがなくて口数が多く、承認欲求が強いのか、自分を大きく見せるための見栄をはったり(嘘や虚言も)、ほめられたり他人によく思われたりしたいという気持ちから、家族よりも他人優先、他人には細やかな気配りをする。
このため、営業職の頃は成績がとても良く、誰とでもすぐ打ち解けるので上辺だけの知り合いが多く、転職が多かったがすぐに仕事に就けた。
けれど人望はない。
人によく思われたい気持ちを利用されるお人好しな面があり、おだてられるとその気になり、よく騙されたり裏切られていた。
そんな中で当時はいろんな女性と知り合っていたのだろう。

母の生い立ち、祖母との共通点

母は田舎の漁師町で育った。
妹、両親の4人家族。
母の母(私の祖母)はわりと裕福な家の出身で、料理はあまりせず、家のことよりも趣味や漁師である夫の手伝いをするほうが好きだったらしい。
一方、母の父(私の祖父)は早くに親を亡くしたらしく、多くは語らなかったが辛い子供時代を過ごした。
だからなのか子煩悩、子ども好きで孫をとても可愛がった。そんなやさしい祖父だったが、酒癖が悪く、母が子供の頃はちゃぶ台返しもしていたらしく、母は酒飲みが嫌いだと話していた。
祖母は趣味を持ち、友達との時間を楽しんでいた。わりと淡々としていたが、晩年は仏のようにニコニコして穏やかだった。多くは語らなかったが、実は祖母の父も愛人をつくって行方をくらまして戻ってきたが、財産を失ったらしい。

気が強い母

母は若い頃、美人と言われていた。
私も同級生やその母親たちからよく「お母さん美人だね」と言われた。
そんな母は言いたいことははっきりいう性格で気が強い。
普段は感情表現があまりないクールな態度。
ただ怒りに達するとヒステリックに怒鳴り散らす。
ときに半狂乱となり泣き叫ぶこともあった。
私が幼い頃から夫婦喧嘩が多く、母が怒り狂い、父に物を投げつけたり殴りつけたりする様子を目撃していた。
子どもに対しては淡々とした感じで、わかりやすい愛情表現はしない。
でも衣食住の身の回りの世話はきっちりとやってくれていた。
家事も掃除洗濯はマメ。料理は母自身が好き嫌いが多かったので決まったメニューばかりだったが、手際がよく、手先が器用で裁縫も得意。姉妹だったのでいろいろなヘアアレンジをしてくれた。
子どもに対する責任感はあり、夫が頼りにならない分、一人背負っていた。


家庭崩壊に近づく一歩

父の女性問題の苦しみを一人抱え、家事も育児もたった一人でこなしてきた母。
持ち前の器用さと責任感でやりきったのだろう。
でもいくら気が強い母でも行き場のないストレスを発散させたかったのだろう。
妹が小学校に入学した頃からパチンコに通うようになった。
私はすでに高学年でそれほど母親が家にいないことについて寂しさを感じた記憶はないが、妹は寂しい思いをしていただろう。
次第に夕飯の時刻になっても帰らなくなり、遅めの夕飯としていつも外食になった。主にラーメンか回転寿司のローテーションだったので、家で普通のご飯が食べられた日はとても嬉しかった。
まだ低学年の妹とパチンコ屋まで30分くらい歩いて迎えに行ったこともあった。
それでも母は朝ご飯の用意やお弁当、家事はちゃんとやっていた。
ただパチンコで家を開けるのが日常になっていった。

私から見た母とは

幼い頃、母はいつもテレビを見ていた。
ソファに横たわったりこたつに入ったりしながら。
笑うこともなく、子どもに何か話しかけることもなく。
楽しそうに見えなかった。いつも憂いを帯びた表情だった。
食事中も特に会話をした記憶がない。いつも姉妹だけで先に食卓についていて途中から支度を終えた母が加わったので食べ終わる時間もバラバラだった。もちろん父はいつも食卓に不在だった。
母に何か話しかけても、たいした会話にならない。
あまり関心がないのだと子どもながらに思っていた。
私もどこか冷めていたのか諦めていたのかわからないが、特にそれを悲しいとも思っていなかった。
母がパチンコに行くようになり、楽しそうに父とパチンコについて会話している姿を見て、逆に嬉しかった。なんだか母が笑顔で楽しそうだったから。
母の機嫌を損ねることがとても嫌だったのだ。


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