借金問題
家を手放す
私が10歳の時に建てて高校卒業まで過ごした戸建てを売却するという知らせ。
自分の部屋ができた喜び、学校が近くなった喜び、たくさんの友達を呼んで遊んだ思い出・・・
特別素敵な家でもなければ、広い家でもないし、隣には変人が住んでいたし、別に悲しくもないけれど、少し寂しい気持ちはあった。
それに最も気まずいと思ったのが、近所に住む小学時代からの友人や何回も遊びに来ていた中高時代の友達に訳アリっぽく見られることが嫌だった。
生活費をくれない
母はいつもそう言っていた。
父の仕事が変わったり、勤め先が金払いが悪い会社だったり、理由はそれなりにいろいろあっただろう。
小学生の頃から祖父にもらったお小遣いや毎年貯めていたはずのお年玉はいつの間にか使われていた。貯金していると思っていたのに。
高校生になってアルバイトを始めた私に、母は毎回言う。
「お父さんがお金をくれない」「ちょっとお金貸して」
奪われるバイト代
毎月毎月わずかなアルバイト代を奪われていた。
もちろん私が必要なものを買うお金は母に言えばすぐに出してくれたが。
でも納得はできなかったしとても嫌だった。父が母にお金を渡さないという話だったので、生活が苦しいのだろうと思い、仕方がなく応じていたが、
段々と母のパチンコ代のためにバイトをしているのがアホらしくなってきて数ヶ月でバイトをやめた。
私にお金がなければ無心されることもないと思ったからだ。
貯金はしていない
子どもの進学費用などもちろん蓄えているはずもなく。
両親が子どものために貯金をするという概念がない家庭だった。
それなのにそれなりに勉強ができた私は進学校に入ってしまった。
学校自体が大学進学前提の話ばかりだったし、それなりの成績だったので先生からも大学受験を勧められた。
ちょうどバブルも崩壊して高卒の求人も少ないから大学に行っている間に景気が良くなるかもしれないという先生の見立てもあったからだ。
しかも見栄っ張りの父も大学進学を勧めてきたので、何も夢も目標もない私はなんとなく大学に行ってしまった。
お金はどうするのだろう。
父は「お金はなんとかするから」とどこかからかき集めてきたらしい。
そして奨学金を2つ得られることが決まり、アルバイト代を合わせるとなんとかやりくりできる見通しとなった。
無心はつづく
親元を離れ1Kのアパートに一人暮らしを始めた私には、毎月2カ所から奨学金が計8万円ほど入った。
バイト代は月5、6万円くらい。
でも私がお金を持つということはどういうことか。
母がそれを当てにするということだった。
毎月奨学金が入る頃、決まって連絡が来る。
「奨学金をちょっと貸して」
私が渋ると
「お父さんからお金をもらったらすぐ返すから」
と怒り始める。
この怒りを収めるのも関わるのも面倒になっていたので、
私はいつも言うと通りに従っていた。
母の機嫌を損ねたくないと子どもの頃からの考え方がいい年になっても治らない。
そのせいで家賃が何度も遅れ、同じアパート内に住んでいた大家さんに呆れられていたし、督促もしょっちゅうされ恥ずかしかった。
ただこの頃は母が消費者金融にまで手を出していたなんて知る由もなく。
家を手放したのは、母の借金のせいだったと後に父から聞かされたのだった。