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西洋哲学史Ⅰ

経緯について

課題内容

パルメニデスの存在概念の特色について述べよ。

答案要約(忙しい人向け)

  • パルメニデスは、哲学で初めて「存在」を探究した人物

  • 存在の探求では「真理」と「思わく」を区別し、真理は人間の知識を超えたものとした

  • 女神は存在の真理を「ある」「あらぬ」という二つの道で説明し、「ある」道のみが探求可能とする

  • 存在の特性として①不生不滅、②非分割、③運動の否定、④時間の否定を挙げた

  • 存在は変化せず永遠で、時間や空間に囚われない純粋な「ある」であり、それ以外は虚構とみなされる

答案(評価 A)

パルメニデス(BC. 515-450)は、哲学史上はじめて<存在>を探求した人物である。
 彼は哲学的な思考を神話的な詩に託している。そこに登場する女神は、若者(若きパルメニデス)の手を取って招き入れ、「すべてを聞いて学ぶがよい」と語る。ここで言う<すべて>とは、人間の知をはるかに超えたものであり、<真理>と<思わく>について語っている(断片 1)。

 ①まるい<真理>のゆるぐことのないその心
 ②死すべき人の子らのまことの証しなき思わく
 ③その思わくされるすべてのことがあまねく行きわたり、承認されたのか

 ①で語られる<真理>とは、②と③で語られている<思わく>と対になっている。その<思わく>とは、「死すべき人」すなわち人間がなしえることで、「証しなき」ものとは、<真理>の裏づけのない虚妄にすぎないものを指す。
 しかし③で述べられているように、その虚妄が人間世界には普遍性をもっており、かえって真実なるものとして承認されてしまっている。だからこそ、人間は自分たちの知が<思わく>であることがかえって分からないのである。

 女神は、<真理>を探求するための道として、断片 2 では以下の二つを提示している。

<ある>そして<あらぬことは不可能>という道
<あらぬ>そして<あらぬことが必然>という道

 A こそが<真理>に従う道であり、探求の道であり、B は探求されるべき道ではない。その理由は、<あらぬ>ものはそもそも知ることも、語ることもできないからである。
 また、<知る>と<ある>は同じことだとも述べられている(断片 3)。<ある>とは「現前してはいない」もので、決して眼で捉えられないが、知性によって捉えられるものである(断片 4)。
 すなわち、普段人間が感覚によって捉えている<あるもの>は決して<ある>ではなく、探求すべき道は「<ある>がある」ということであり、<ないもの>は探求しえない「無の道」なのである。

 さらにパルメニデスの断片 8 によると、女神は「この道には非常に多くのしるしがある」と語っており、ここで言う「しるし」とは、それによって<存在>を捉えられるようになるものだと考えられる。それは以下のようなものと解釈されている。

 ①不生不滅
 ②非分割=全体にして一
 ③運動の否定
 ④時間の否定

 ①の不生不滅とは、<ある>は、生まれたものでもなく滅びるものでもない。もし<ある>が生まれてきたものなら、<ないもの>から生まれたことになってしまう。一方で<ある>が滅するものであるとしても、やはり<ないもの>になってしまう。<ないもの>を<あるもの>として捉えることはできないので、<ある>は不生不滅である。

 ②の非分割とは、<ある>は分割できないことを意味する。たとえば<ある>を A と B の二つの<あるもの>に分割できると仮定する。すると両者を分割する C を想定する必要があるが、もし C が<あるもの>であれば、三者すべて<あるもの>となって区別できなくなる。したがって C は<ないもの>ということになってしまう。仮定は成り立たない。

 ③の運動の否定とは、<ある>は運動しないということである。もし<ある>が A 地点から B 地点まで移動すると仮定すると、A から B までの間を<あるもの>が移動することになるが、もしその間が<ある>で充たされているならば、<あるもの>は移動することができない。<あるもの>が動くためには、その間は空虚すなわち<ないもの>を想定しなければならなくなってしまう。

 ④の時間の否定とは、<ある>はつねに現在形だということである。例えば<あった>という過去形で表現されることはない。なぜなら<あった>という表現は<もはやない>ことを前提としなければならないからだ。また、<あるだろう>という未来形もまた、<まだない>ことを前提にすることになる。

 以上のように、パルメニデスの存在概念は、<ある>しかないものであり、<ある>が世界全体である。「<ある>がある」というパルメニデスの命題が<真理>であるならば、私たちが現実だとみなしている世界は、時間的に変化し、多によって充たされているので、虚構の世界ということになる。しかしアリストテレスの言うように、それはやはり現実と乖離しすぎていて捉えがたいものである。
 ただ、武井(2022)の言葉を借りれば、紀元前 5 世紀のパルメニデスがはじめて思惟した<存在>は、哲学の伝統において決定的な影響力を有しており、哲学は今なお、強固で徹底したものとして光彩を放つ最古の<存在>の思惟の影響下にある[*1]。現代において<存在>の新たな思惟の可能性を模索したハイデガーによる現象学的な解釈の対象となっていることも、パルメニデスの注目に値する点であろう。

参考文献
[*1] 武井徹也 『存在は今に存在する ―ハイデガーによるパルメニデス解釈―』立正大学人文科学研究所年報 (59), 71-89, 2022-03-31

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