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まぼろしの東京|『あのこは貴族』
山内マリコ 集英社 (2019年5月17日発売)
東京ってどんな街? その問いに対する答えは無限にあるだろう。ただ、その答えに、「自由な街」「不可能がない街」「きらきらした街」といった一見親しみやすくて、ポジティブな要素を込めた人はみな、アウトサイダーなのかもしれない。
東京育ちのお嬢様と田舎出身のOLが、東京を舞台に交わる物語。それぞれが、同じ「東京」の話をして、同じ景色を見ているはずなのに、感じ方も見え方も正反対。それでいて、どちらの東京も、私たちは彼女たちの思う通りに解釈できるから面白い。
地方出身、必死に努力して東京行きの切符を掴み取った美紀にとって、もともと東京で裕福な家系に生まれぬくぬくと生きてきた彼らの生き方に違和感を覚える。
「中からは、わからないのだ。ずっと中にいるから、彼らは知らないのだ。気づいていないのだ。そこがどれだけ閉ざされた場所なのか。そこがどれほど恐ろしくクローズドコミュニティであるかは、中にいる人には自覚する術がないのだ。」と。
幼い時から、人間関係も、暮らしも、行動範囲も何一つ変わらない安定した人生。まさに「無菌」な世界で生きる人々の暮らしは、どうしようもない閉塞感と、まったりした居心地の良さで出来上がっているように見える。
それに比べて、彼らの世界とはあまりにかけ離れた辺鄙な場所に生まれ、愚かでなにも持たずに上京してきた部外者な自分。明らかに、存在が違っている。
でもそれって・・・
なんて自由なことなんだろう。
わたしだってそうだ。
東京で生まれ、福岡で育ち、また東京に戻って、海外で暮らして。20年近く東京に居るから、東京人のような振る舞いをしているが、生粋の東京人の目に写るわたしは、きっとアウトサイダーだ。
でもそれは、同時に自由を意味している。挑戦を、そして成長を意味している。これまでの人生に誇るべきものがあって、自分自身の手で掴み取ったものがあって誇らしい。
わたしたちは、どうやったら幸せになれるのか。
東京に馴染むように着飾ったアウトサイダーによって作られた、本物ではないまぼろしの東京で、ぼんやりと自問自答する。