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【読書ログ】vol.3 『月と散文』 自分が見ている世界に自分は含まれない
ピースの又吉直樹さんの著書『月と散文』。
物語のあまりの面白さに「もっともっと」とページを捲る手が速る気持ちと、「この時間が終わらないでほしい」という名残惜しさの両方が心の中に共存していて、読み終えるまでの数週間は本当に忙しかった。
読んでいて素直に感じたことは、又吉さんの思考は、本当に自由で軽やかでのびのびしているということ。
「一見意味のないこと」を考え続けることで、多くの時間を失うかもしれないということを全く恐れていない。
文章にも癖や一切の嫌味もないし、本人の控えめな人柄故か、自分の見ている世界に自分が含まれていない。つまり "自意識" のようなものが存在していないみたいだった。
そこが尚更好きだった。
又吉さんはそれでいて人一倍繊細で感受性豊かな方だから、生きているだけで、ただ道端を歩いているだけで、様々なことを感じてしまう。そしてそれらの感じたことひとつひとつをまたじっくり思い返しながら、考え続ける。
又吉さんは、そんな3歩進んで2歩下がるを繰り返し続ける日々を送っている人なのかなと思った。
そして、それらのある種、反射的に浮かんだ自身の"反応"のようなものをしっかりと捕まえ自分のものにし、言葉にして吐き出す。
生まれ持った感性だけでなく、思考を少しずつ耕しながらその過程を言語化する高い能力も合わせ持っているから、又吉さんはただの芸人ではなく、特別な芸人さんなんだなぁと思った。
見たもの起きたものに対して、「面白いと思った」「びっくりした」。それだけでは終わらせない。
時には「そういえば」と、ここではないどこか、今ではないいつかに向かって時間軸を変えてみたり、「もし〜だったら」と現実と想像の境を軽やかに越えてみたりする。あるいは、「どうして」と事象を深く深く耕していく。
清々しいほど自由で、軽やかで、それでいて「人間くささ」、「人間の愛おしさ」が詰まっている『月と散文』。
出会えてよかった。
果たしてわたしが又吉さんのことを知らなかったら、あるいは又吉さんが芸人として成功していなかったら、わたしはこの本をどう受け止めただろうか?
何においてもそうだけど、物事の評価はいつも複合的になされるものだと思う。
それは人についてもそう。
自分の軸を持って「わたしはこうおもう」「わたしはこうしたい」に従って生きれば、どんな評価でも受け止められる気がする。