死者との十月十日の距離

COCOです🎈



母が亡くなって、ちょうど十月十日経ったある日、たまたま、母が亡くなった直後の日記を読み返す機会がありました。


十月十日というと、妊娠の期間、つまり、赤ちゃんとお母さんが、別々の命になっていく期間を指しますね。

では、亡くなった人との十月十日の期間を経ると、どんな心境の変化が生まれるのでしょうか?


今日は、そんなちょっと変わった視点から、命と命の距離のお話。


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母が亡くなった直後は、世界のすべてに、母の"跡"が残っていたような気がします。


何かあるといつも母を思い出していたし、何かを共有しようとしていました。心を半分取られて、必死で、母と繋がろうとしていた感じ。

ずっと悲しみがそばにあったし、重苦しいベールで自分が覆われて、身体に鉛の塊がぶら下げられているような感覚でした。


でも、毎日の生活に没頭していくと、知らず知らずのうちに、その"跡"が、新しいものへと、塗り変わっていきました。

物理的な変化もありますが、大きかったのは多分、私自信の「記憶」だと思います。物や景色を見て、思い出す記憶そのものが、新しくなっていったんです。


そうすると、だんだん、母を思い出すことは減っていきました。もちろん、母の事は毎日想うし、寂しくもなりますが、何というか、共に生きている、という感覚は薄れて、心の中の思い出、という感覚です。


痛々しくて、生々しい"悲しみ"から、懐かしむような"哀しみ"へ、気づかぬうちに、心境は変化していき・・・そして、こう思いました。

「こうやって、じんわり、本当に別の世界の人になっていくんだな。」


***


悲しみに心を取られることが減って、気持ちはとても和らいでいるので、心の健康という面から見たら、いい変化なんだと思います。


でも、どこかで、寂しいな、と感じる自分もいます。母がどんどん遠くに行って、別の姿に変わってしまったようで。

「忘れる」という、生きるためにあらかじめ備わっている機能にすら、哀しさを感じる人間って、本当に厄介ですね(笑)


どんな世界に行こうとも、どんな姿になろうとも、その場所で母が、笑って過ごしていることを願って、締めたいと思います。


COCO🎈







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