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長年にわたる倦怠感の正体は「ドーパミン不足」だった?


子どもの一言で気付いたこと

「お父さん、今日ね、空にでっかいクジラみたいな雲が浮かんでたんだ。みんなでわーってなって見たんだ。楽しかったよ!」

ある日、帰宅すると、小学生の子どもが嬉しそうにそう話してくれた。
私は「そうか、よかったね」と笑いながら返したが、その時ふっと子ども時代の情景が浮かぶ。

そういえば、私も子どものころは、ささいなことに感動していた。勉強そっちのけで外に飛び出し、さまざまな遊びに没頭し、夢中でわけの分からないことをやったりもした。辛いこともあったが、毎日がただ楽しかった。

だが、いつの頃からだろう。日常の出来事では心が動かなくなったのは。

20代から続いた謎の倦怠感

社会人になった20代前半から、私はずっと謎の倦怠感に悩まされてきた。

朝は遅刻ギリギリで出社し、日中は頭がモヤモヤして、霧がかかったような感覚だった。休日も、せっかく二輪免許を取ったのに朝からやる気が出ず、午後になってやっとバイクに乗り始める始末。

30代に入り趣味を変えても、また結婚や子どもが誕生しても、その瞬間はよかったが、何となくどんよりとした日々は続いた。

40代に入って挑戦したライター業では、記事のクオリティにはこだわるも、朝起きられず夜中に無理やり作業するという悪循環が続く。それなりの成果を得られたのが、せめてもの救いだ。

何かを決意しても気力が湧かない。そんな毎日は、自己肯定感をどんどん下げていく。

いろんなライフハックを試しても効果がなかった、この倦怠感。最近読んだいくつかの本によって、ようやくその原因が分かってきた。

私はドーパミンを無駄使いしていた

恐らく私は、<ドーパミン>の使い方を誤っていたのだ。

ドーパミンは脳内ホルモンの一つで、やる気や快楽を引き起こすものである。注目すべきは、1日に分泌される量には限度があることと、人は簡単に得られる快楽を優先してしまうという事実だ。

振り返ってみると、私は回線がまだ<ISDN>だった頃から、仕事で疲れて帰宅すると、延々とネットサーフィンをしていた。

詳しくは触れないが、私がつい最近まで見続けていたオンラインコンテンツの多くは、後に何も残らず、一時的な刺激に満足してしまうようなものだった。

安易に手に入る快楽に依存すると、そこで大量のドーパミンを消費してしまう。特にオンライン上にあるコンテンツは刺激が強い上に、その数も無限だ。

それらをひたすら見続けていた結果、朝にはやる気が枯渇して自己肯定感も低下する。だが、夜になるとまた快楽を求め、同じことを繰り返す。

この負のスパイラルが、私の倦怠感の正体だった。

過去を悔やまず、前を向こう

私は今、これまでの人生をとても悔やんでいる。
倦怠感に支配されていたこの20年以上もの歳月は、本当にもったいなかった。

しかし、いくら後悔しても過去は変えられない。大切なのは「これからどうするか」だ。

安易な快楽に依存しないと決意した私は、より生産的な行動や自己成長に向けてドーパミンが分泌されるよう、日々の行動や生活リズムを変えた。

それから2ヶ月ほど経つ。朝の目覚めはスッキリしており、倦怠感も薄れてきた。自分でもここまで違うのかと驚いている。ライティング作業もはかどるなど、少しずつ変化を感じられるのが嬉しい。

子どもはドーパミンがあり余っていて、小さな出来事でもテンションが上がるという。

以前の生活に逆戻りしないよう気をつけながら、子どもの時のようなあの日常のワクワク感を、これから少しでも取り戻せたらと思う。

▼参考書籍→ドーパミン復活早起き法

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※当記事は一部に広告を利用しています。

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