第二話 鹿肉蔦木喰 ―もみじつたきばむ― (八)
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「栗でございますか?」
「大至急、揃えて欲しいんどす。最低でも七十。八十もあれば、十分ですわ」
「そうですね。そのくらいでしたら心当たりもございますので、すぐにお持ちしましょう」
「おおきに、助かります」
「こちらこそ、ご無理を聞いていただき、感謝いたします。では、早速、行ってまいりますので、暫しの間、お待ちを」
そう言って、来た時同様、浜路は傘をさして出ていく。濡れることが嫌いなはずなのに、不思議なことだ。
「奥さま、旦那さまにご相談もなく、引き受けてよろしかったのですか?」
気遣わしげにまるおが尋ねれば、
「祟りものになろうかいうもんを、放っておけますかいな」
と、小気味良いほどの答えだ。
「旦那さまかておんなじ事、言わはる思いますえ。それよりも、早々にこちらの算段がついて良かったですわ。こうもうまくいくんは、きっと、氏神さまのご采配の賜物に違いないですわ。あとで神棚だけでも拝んどきましょ」
そして、「咲保もいいご縁、繋げましたなあ」と嬉しそうに言った。
「世話になるばかりですが、まるおも暁葉も浜路も、私にとっては大事なお友達ですもの」
「そうですか。これからも大事にな」
「はい」
出来れば、モノ同士もっと仲良くなって欲しいけれど、と心の内で咲保は思った。顔を合わせる度に、喧嘩になるのではないかという気配は、いつも心臓に悪い。が、それが彼女たち流の付き合い方というのものならば、咲保にはわからない事なので、黙って見ているしかない。
それからさほど待つ事もなく、大きな風呂敷包みを抱えた浜路が戻ってきた。阿波にある、浜路の領域内の山の中にひっそりと自生する、その地域にいるモノたちの御神木から分けてもらった栗だそうだ。
「人にとっては名もなき森ですが、私どもには神聖な場所の大事な御神木です。化け狸……まるおさんが集めたものと遜色ないものかと存じます」
「そら、ええもんを有難うございます。やあ、美味しそうな栗やこと」
「あと、お詫びにもなりませんが、こちらも社の鬼門を守り、力を蓄えてきたものです。どうぞ。お納めください」
ごろごろと出てきた陽の光を移したかのような明るい橙色の実も、渡される。
「こない沢山、立派な柿まで。おおきに、有り難く使わさせてもらいます」
「本当に。浜路、ありがとう。助かったわ」
「お役に立ててなによりでございます。こんなことでよろしければ、いつでも御用命ください。では、明日の夕刻までにはお持ちできるかと思いますので、何卒よろしくお願い致します」
では、とほっとした表情で、浜路は帰っていった。
「咲保は栗を湯に浸けたら、今の内に休んでおきなはれ。夕餉の支度はこっちでやっておきますし」
という母の指示に従って、夜に備えて一休みさせてもらうことにした。部屋に戻れば、気が抜けたか、どっ、と襲ってくるものを感じた。
(疲れた……)
うっかりしてしまった姉の知流耶も、毎日がこんな状態なのだろうか。だとすれば、咲保には到底、どこかの嫁など務まるはずもない。そんなことを思う内、机に突っ伏したまま、咲保はうたた寝をしてしまった。
「姉さま、姉さま、起きて」
咲保を起こしてくれたのは、妹の瑞波だった。寝ぼけ眼で起きれば、まだ幾分、怠さが残っていたが、先ほどよりはだいぶ楽になっていた。
「お夕飯の用意ができましたって、お母さまが」
「ああ、ありがとう。すぐに行くわね」
顔を洗い、母屋に出向いて席につけば、すでに皆、もう集まっていて、知流耶の失敗について話し、笑っていた。そして、咲保に対しては、口々に労りの言葉をかけてくれた。みんな楽しそうだ。
咲保の脳裏に、かつて、他人の失敗をゲラゲラと笑い飛ばしていた青年の姿が思い浮かんだ。その時は、人の過ちを面白がるなんて、と不快にも思ったが、なるほど、こういうことか、と腑に落ちる。これから先、姉の失敗も、家族の間でことあるごとに思い出されては、笑い語られるのだろう。それはそれで可哀想な気もするが、ぐちぐちと言われるよりも笑い話にできるのなら、それはそれで良いような気がした。
食事も済ませ、先に風呂も済ませた咲保は、さっぱりとした気分で、昨夜に引き続き、栗の皮剥きから始めた。今夜は、明日の朝が早い父を除く全員が手伝ってくれたお陰で、面倒な作業もどんどんと捗る。
驚いたことに、いちばん多くの皮を剥いたのは、きゑだった。本来なら、仕事をあがっている時間なのだが、見兼ねて手伝いを申し出てくれた。
「きゑさん、はやい」
「そりゃあ、年季がちがいますからね」
からからと笑う女中に、悪戦苦闘していた磐雄や桐眞まで、目を丸くしていた。そのきゑから、
「そんないい栗なら、二つ、三つ、お庭の隅にでも埋めておけば、芽が出るんじゃないですか? 桃栗三年柿八年。うまくすれば、三年後には、毎年、実がなるようになりますよ」
と、誰もこれまで思いつかなかった提案に、まだ剥いていないものの中から選んで、試してみることにした。瑞波がはりきっていたので、うまくいったら世話をしてくれるだろう。
皆が部屋に戻り、まるおと二人で残りの作業を行う。甘露煮の壺はとうに空になっていたが、浜路のお陰で、また一杯にしても余るぐらいありそうだ。
「栗蒸し羊羹……」
思い付いたら、食べたくなってきた。片栗粉もあったはずだ。栗を多くすれば、ひと棹分ぐらいなら、こし餡も賄えるだろう。
「あの餡の量なら、大角豆を少し多くすれば、ふた棹いけます」
まるおが言った。その握り拳はなんだろう。
「大角豆も煮てしまいましょう。その上に蒸し器をかければ、手間もかかりませんよ」
まるおの中では、すでに作ることが決まっているらしい――今夜も長くなりそうだ。