ログインしても、明日から、きみはもういないんだね。
6月にnoteを始めた。
それ以前と何が違うのかって、強いて言えば、ログイン
していなかった時間が長かった上半期と、
ログアウトしていた時間が短かった下半期に分かれるような
気がする。
ここでのコミュニティを得たことの、心の平穏さは過去とは
比べ物にならないのだけれど。
ログインしていると、その中だけがリアルに思えて来るときが
ある。
リアルかリアルでないかとか分けること自体が
おかしいのかなって思うこともある。
オンラインの中でしか会えない人たちと心が健やかに
保たれているのならそれをリアルと数えてもいいような
気がする時もある。
私自身こんな気持ちになるとは、予想だにしていなかった
けれど。
この間『ジオラマボーイ・パノラマガール』の映画評を
つらつらと読んでいた。
これは私が好きだった岡崎京子の人気漫画の実写版だ。
渋谷ハルコと神奈川ケンイチのなかなか出会えない二人の
恋物語。
昔この原作のマンガに夢中になっていた頃の。
コマの中の彼女と彼が、生き生きとまるでよく知っている
誰かのように疾走していたことを思い出す。
コマの中からはみ出しそうな若い二人。
いつも不満げな口元、なげやりな背中。
躍動するって、過去の遺産なのかと思ったり。
それは年を重ねたからなのかと逡巡したり。
でもあの飛ぶように跳ねてゆくボーイとガールは、
わたしたちの夢でもあるように思える。
なにかを抑制するようにしか今生きられない時間を
生きているわたしたちは、この映画の中に救いを求めて
いるのかもしれない。
ってここまで書いていて、わたしにやさしさを教えてくれた
たまごまるさんがこのnoteとしばらくお別れすることを
知った。
呆然としている。
ずるいよねって思ってる。
明日になったらわたしはたまごまるさんに怒っているかも
しれない。
わたしのことをたまごまる杯で今年みつけてくれて
そして殿堂入りまで授けてくれた彼は明日から
もういないのだ。
この不在。
この余白。
この静けさ。
混乱するじゃないか。
冷蔵庫の卵置き場をみるたびに
あなたを思い出す予感がしている。
しばらく卵は食べられないかもしれない。
そしてふと思った。
わたしだって、noteに馴染みすぎたのかも
しれない。
でもそこにはみんながいたから。
みんなの中にはたまごまるさん、あなたもいた。
でもわたしは知っている。
たまごまるさんの決断は、ひたすらさびしい。
だけど、ひたすらうなづいてもいる。
ログインしている時間がわたし、長すぎるのかも
しれないと。
家の1Fには母がいる。年老いた母がひとりテレビを
みている音が記事を書いている時、時々する。
そしてひとりで笑っている声も聞こえる。
お茶碗を流し場にさげにゆく、器がこすれる音も
聞こえる。
わたしは、今楽しい時間をnoteで過ごしているけれど。
でも、もう少し母と一緒にいる時間も欲しい。
母がいつまでも元気でいるわけはないといつも
覚悟しているから。
この半年間で母との会話が減っている。
すれちがうように、ご飯を食べて眠る。
おはようのときもおやすみのときも顔を
みているけど、リビングの椅子にわたしが
座る時間が減っているのも確かだ。
母ともう少し喋りたいし笑いたい。
ケンかもするけど、わたしのリアルは家の中にも
あるのだから。
そしてふと思った。
あの映画パノラマガール・パノラマボーイの
彼らのすれ違いは、まるでログインしていた時と
ログアウトしていた時の、心に一瞬差してゆく
影のようでもあると。
でもさびいしいんだよ。
ほんとうに。
たまごまる杯の審査員をオファーされていました。
そしてたまごまる杯のキャッチフレーズも書いてねって
依頼されていて。
1月の成人式あたりには異空間に離れ離れになって
しまった恋人たちの往復書簡のようなコラボも
することになっていました。
それはまぼろしになったけれど。
あなたがわたしに教えてくれたやさしさは
今もこころの中ですくすくと育っているのを
知っているから、さよならはわたし言わない。
繰り返す 波のように すれちがっても
また会える ログインすれば そこにいた君