わたし、バカじゃないもん。って泣きじゃくりながら、あの子は駆け抜けていった。
からだのどこかが、水にふれているだけで、どういうわけか、ふいに
落ち着いてくることがある。
むかしからそうなので。
小さい時、むしゃくしゃしたり、落ち込んだりすると、すぐに水場に
ゆきたくなって。
ひとり水遊びしていた。
猫じゃないんだからって叱られたけど。
猫は水が好きなのかどうかわからなくて、なにも言えなくなった。
そうやって、言葉をぐっと呑んでしまうのが癖だった。
ちゃんと口でいいなさいって、いつも叱られていた。
垂直に流れてゆく水の球は、となりやどこかの水の雫といっしょに
なって、ふとってゆく。
でもその重みに耐えかねて、ぶんれつしたり。
おいかけるしずくとおいかけられるしずく。
その一連のドラマをみていると、ほんとうに飽きなくて、いつまでも
みてしまう。
💧 💧 💧 💧 💧 💧 💧 💧 💧 💧 💧
窓を開けて物を書いていると、子供の声が聞こえてくる。
たいてい、マスクの下で声くぐもらせながら大声でしゃべっているのが
聞こえる。
今の時代の子供は大変だって正直思う。
私たちの時代もいろいろあっただろうけど。
そういえば祖母が孫であるわたしが学校にもっていかなければいけない
道具、裁縫の小箱とか、算数セットとかその多さに半ば、あきれながら
今の子たちは、覚えることもたくさんで大変だねって言っていた。
時代は巡るんだ。
なんか、マスクをちゃんとして歩いている子供達をみていると、無条件に
えらいなって思う。
わたしだったら、ちゃんと守れていたかな?って。
子供の声がする。
足音も激しくする、そしてすこし乱暴な声も。
ちょっとなじられているような声。
ひとりの男の子が、ばっかじゃねえのって誰かに言った。
そしたら何歩か遅れたみたいな感じで時差があって。
足音が、たったった、ぱたぱたぱたと聞こえてくる。
もう一度男の子が、ばっかじゃねえのぉって、楽しそうに
からかう。
その時、やっとたどり着いたみたいなひとりの女の子が、
抗議するように言った。
💧ばかじゃないもん。わたしばかじゃないもん。
だって、自分のあたまでちゃんとかんがえたんだ
もん。かんがえたんだもん💧
って、なんか泣きそうになりながら。ちゃんと、意見していた。
男の子を追っかけても、言うべきことは言うっていう姿勢で、走りながら
そう叫ぶ女の子の声が聞こえた。
わたしに子供はいないけど。
ひとことで済まそうとした、その男の子の批判にちゃんと、全身で答えて
いるところ、なかなかいいねって思う。
そういうこと、子供はいうけどさ。
子供だから言うよね、じゃなくて。
おかしいことはおかしいって言うの断然いいよ
って。
見てはいないけど、ちいさそうな体をふるわせながら力の限り抗議して
ゆくその姿は、かつてのわたしにはないものだった。
批判された時、呑んでしまうのかちゃんと抗うのか。
そういうことは、やっぱり小さなころからどこかで身についているほうが、のちのちいいよって正直、今の年になってみてわかる。
😊私を好きでいてくれる人がいること、このままの
私を尊重し認めてくれる人がいること。それが幸せだと思う😊
これは、2018年のOECD調べ、子供たちの幸福度世界1位のドミニカ共和国の中学生チェルシーちゃんの、ことば。
こどもも、おとなも。みんなそうであるといいなって思う。
今日の
は
♬斉藤和義さんの
「ドント・ウォーリー・ビー・ハッピー」です♬
どうぞお聞きくださいませ♬
泣きそうな 声はいにしえ 足音跳ねる
ほらきみに 言ってるんだよ 君の背中に