思い出はつくるものじゃなくて。思い出になってゆけばいいんだって。
雨が降っていると、雨がふっていたすこし遠い日のことを想い出したりする。
その日わたしたちは、雨宿りもかねて、懐かしい匂いのする上野の喫茶店に入った。
あれは、国立西洋美術館の「指輪展」の帰りだったと思う。
2014年のこと。
友達の由美ちゃんと、久しぶりに会った。
おもむろに降り出した雨が、加速度的に雨粒を激しく太らせながら、地面へと落下してゆく。
案内された席が、ガラス窓から外の風景がよく見える場所だったので、樹々の葉からせわしなく雫が落ちてゆくさまがよく見えた。
ふいに、由美ちゃんがその窓に視線をあずけながら。
「思い出になるね」
って、雨を見ながら言った。
その時一瞬わたしには、その言葉を耳のどこにも入れたくないようなそんな気持ちになって、多分返事をしなかったんだと思う。
由美ちゃんは、ほんとうにどこか心の底からそう思っているようで、それがわたしには受け止め難かったからなのかもしれない。
由美ちゃんは呼吸の病を抱えてしまったから、酸素ボンベと共に暮らしてゆかなければならなくなったの。
どこか行ける時にぼんちゃん(私の仮名)と行っておきたいんだって、わたしを美術館に誘ってくれた。
由美ちゃんは、まっすぐ怒るし、理不尽なことには喧嘩を売ったりもする。ま、アグレッシブな女の人だった。
でも、その日はすこしちがっていた。
すこしだけ弱音を吐いてしまいたいような感じで、いつもの由美ちゃんなのに、ちょっと優しすぎる人になっているみたいで。そんな由美ちゃんをあんまりわたしは、知りたくなかった。
残酷なこころが、わたしの中に芽生えようとしていて、正直居心地がわるかった。
ただただ雨の雫を見ていると、どこかここは異次元の場所の様で、ここから5分先のことも、どうでもいいような気持ちに駆られる。
いっそ異次元であったらいいなと、そのこと自体を歓迎したくなるような。
ガラス窓の内側にいるのに、その向こう側の雨を見ている時の守られている感じが、心もとない。
その心もとなさは、この雨のせいではなくて、さっき聞いた由美ちゃんの言葉が残響のように耳に残っているせいなのだと、わかっていた。
思い出になるねって。
確かにそうかもしれないけれど。いつもの由美ちゃんなら、この雨に降りこめられたことに毒づいていたはず。
つらつら、雨の野郎がさぁとか言っていたはず。
思い出とか言うな、って気分だった。
今、由美ちゃんは生きているんだから。死んじゃう病ではなかったわけだし。今を見ていて欲しかった。ほんと勝手気ままな言い分だけれど。
そんなことを思いながら、目の前のデザートを食べた。
舌の上で溶けるカルピスっぽい味のシャーベットが、思いがけなくおいしくて。気持ちのささくれが、束の間やわらいだ。
これおいしいね! ってはしゃぎながら。
昔よく作ったよねこういうのって。
まるでシャーベットのまわりに配置されたみたいなわたしたちふたりは、冷凍庫で冷やして美味しかったもののオンパレみたいな話をつづけた。
冷凍庫で凍らせて美味しかったもの大会!
ふたり大喜利やん! って感じだった。
マスカット、麦茶、みかん、濃い目のカルピス、はちみつ漬けのレモンの輪切り、などなど。
なんだか雨じゃなくて、わたしたしは懐かしさに降りこめられていたような気がして。年を重ねると、振り返る過去が増えていることにも驚かされていた。とにかく驚かされてばかりの日だった。
その日の夜。
「きみへの誓い」という記憶をなくした妻が、夫と共にぶつかりあったり傷つけあったりしながら、記憶を取り戻すせつない葛藤を描いたアメリカ映画をみた。
時折、夫のナレーションがつぶやく。
「瞬間の積み重ねが自分を定義してゆく」という言葉が、少し疲れた体のどこかに着地する。
その映画の中の夫のことばが、由美ちゃんと会っていた夕刻の出来事へとつながってゆく。
思い出になるね。
わたしは由美ちゃんのその言葉を、もう一度思い出しながら。
由美ちゃんが思い出を作ろうとしているんじゃないかと、いぶかしく思っていたことに気づいた。気づいてしまった。早合点だった。
由美ちゃんはきっと、作ろうとしているんじゃなくて、日常のひとこまとして、残ってゆけばいいって思っていたのかもしれないって。
由美ちゃんによくオセロでも負けていたけど、今日は惨敗だった。
思い出になるね。
ってうがつように降る雨を見ながら言われたことが、これからの人生の中でも、いちばんのわたしにとっての思い出になってゆくような、そんな予感が密かにしていた。
そんな雨の日もありました。過去の日記をひもといてみました。
ひとり気ままコンテンツ
今日は、村松健さんの、思いは海を越えて です。
今日もひとりごとにお付き合いいただきありがとうございました!
では、どうぞ♬
えんぷてぃ くちぶえの音 空気に触れて
ガラス窓 うがつように 一瞬が降る