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#科学的根拠
僕たちの思っている知識と価値ってどう作られるのか
私がこれがこういう価値だとそう思ったのはどういう経緯だろうか
まあ普通そんなことは考えたりはしないのだが
別に難しいこともなくその理由は単純ではある
過去に価値を見出した経験が何かあったからだ
その経験の積み重ねで新しい何かにおいてもそのデータベースみたいなものを利用してこれは価値がありそうだとそう考える
つまり経験のデータベースによって価値は左右されているものとも言える
となるとその経験の
認識の源泉について考えてみたら見えてきた世界
前回は認識における二つの大きな立場について述べたが
その背後では認識の前提というべきものが何であるのかそれについて触れていった
前回の記事
この記事では
それでは続きをやっていこう
何を中心としているのか勿論諸説はでてくるとは思うが
何を中心としてこの二つの考えが分かれているかというとそれは簡単にいうと人がすべて把握できるのかそれとも人以外のいわゆる神のような存在が関与して人の認識が成立し
認識によって想像も理性も限定されている件-不可知論的逃避、アプリオリを超えて
適当な言葉が思いつかないからたぶん一番合っていると思われている認識というものを私は使うのだが
認識をどう定義するかわからないがいわゆるこれだと認める意識ということである
なので認識は何か発想の最初の段階で働く作用であるある種出発点のようになっている前提を作り上げる際に必要な作用ということができる
この認識がいかに発生するのかということには
規則があるのは明らかなのだが
その規則の大まかな形し
現実が何なのかそれは誰もわからないかもでも小説の中のものは現実ではない
もちろんそんなことは
誰もわかっていると思いたいが…
小説は虚構つまりウソ
リアリティ番組とか
ドキュメンタリーといっても
演出に沿った誘導もあるし
真実そのまま伝えることにはならない
それは切り取りである
それを現実と真実ととらえることで
悲劇も生まれたりもする
だからそういう情報は
間接情報としてとらえて
参考情報程度にすべきだと思う
ならば何を直接情報とすればいいのか
学術研究で
我々が虜になっている殻… 世俗主義とは何なのか
世俗的という言葉は
ある意味低次元のものと
そうされることも多い私達が
思っている仮の現実世界
しかしその現実世界の
基礎用語になっているWIKIによると
世俗主義は趣を異なる
権威からの自由だけ主張しても…世俗主義とは宗教的な支配から逃れるという意味
または宗教内では教義や既成概念からの自由などの
意味ということで
ある種反骨精神的な意味合いがある
ただ次元が低いというものではないが
しかし