神社を学ぶ
東京五社•十社巡りを彼と始め、無事に東京五社巡り制覇しました。
それぞれの神社が持つ美しい側面と深い歴史、そこから生まれた魅力に毎度感動しています。
そんな時、たまたま読んでいた本に日本の宗教と神社について、とても分かりやすく書かれていました。
「そういえば神社巡りをしてきて、参拝方法などは身に付いてきたけれど、神社全般についての知識はまだまだ空っぽだな」と気がつきました。
本を読みながら、これは絶好の機会だと思い、自分の中の理解を深めるため、今回の記事を書いています。
12月には世界遺産検定1級試験を控えている事もあり、神社の様式などを学ぶためのアウトプットとして書き出してみます。
神社とは
そもそも神社とは何でしょうか?
正直、わたしは上手に言語化できません。
強いて言えば神様のいるところ、神様にお祈りをするところ。くらいでしょうか。
ここはひとつ、ドヤ顔で神社について語れるようになって、神様にごひいきいただけるよう→おい!
勉強していきます。
まず、神社とは
日本古来の宗教「神道」の神様が祭られている場所。神社の起源にはさまざまな説があり未だに確たる起源が判明していません。
神様のいるところという回答も、あらかた間違ってはいないかなという気もしますが、、、
出てきました。
神社を学ぶための初めのキーワード「神道」。
神道
神社や宗教を学ぶ際に必ず登場します。
それもそのはず、
古来より伝わる、日本独特の宗教が「神道」。
日本発祥の宗教ということになります。
読み方はしんとう。
日本で生まれ、育ったわたくしですが「神道」を信仰しているという自覚は全くありません。わたしだけでなくそう考える方は多いかと思います。
ですが、お正月は初詣に行ったり、七五三を神社で行ったり、心配事があれば神社に行って参拝したり、、、。
気がついたら、当たり前のように神道の行事を行なっていました。
それくらい日本では、神道の信仰と日常生活が隣り合わせにあり、融合していると考えることができます。
というのも、神道では大自然のありとあらゆるところに、たくさんの神が宿っていると考えられているからです。
海には海の神様がいる。山には山の神様。川や動物にも。それくらい身近なところに豊かさや恵みがあったんですね。
そんな神々を神道では「八百万の神」とも言います。
この、たくさんの神様がいるよ!という神道の考えを「多神教」と言います。
反対に神様はたった1人だけ!というキリスト教やイスラム教の考えを「一神教」と言います。
生きている周りの環境が、いかに考え方に直結しているかが分かります。
八百万の神
先程出てきましたが、神道では神様のことを「八百万の神(やおよろずのかみ)」と表すことがあります。
他にも「八十万の神(やそよろずのかみ)」「千万の神(ちよろずのかみ)」などがあります。
以前彼と、八百万の神について
やおよろずのかみってめちゃめちゃかっこよくない?という話題になりました。
大共感!
発音でしょうか、、、。日本ならではの柔らかさというか、謙虚感、慎ましさが溢れ出ている気がします。
ちなみに八百万の神と言いますが、実際に八百万の神様がいるわけではなく、神様の数が数え切れないくらいとても多いと言い換えてのことです。
神社の呼び名
ちなみに、神社と呼ばれるようになったのは明治時代以降のこととされています。
それまでは「社」や「宮」と呼ばれることが多かったのです。
有名な神社では
明治神宮、東京大神宮、、、などがありますね。
神社の内部
神社の成り立ちには未だ不明な点も多いのですが、大陸から伝わった仏教の影響が大きいとされています。
確かに、神社もお寺も神様に向けて手を合わせる場所があり、お賽銭箱があったり、御朱印があったり、、近いところが多くあります。
しかし初めのうちは仏教建築との差別化を図っていたそうです。
ところが奈良時代以降に神仏習合思想が始まり、神社建築•仏教建築ともに手を取り合うことになったのです。
神仏習合思想‥日本古来の神道と仏教が密接に結び合っている思想のこと。(神社の中に仏像を祀る、仏教寺院の中に神殿を構える等)
神社の周りはたくさんの木々に囲まれていることが多いと思います。
実はこの豊かな緑も神格化されている重要な自然。
鎮守の森と言います。
世界遺産に登録されている日光東照宮は、鎮守の森を背景におき、その前面の斜面を利用して社殿を位置しています。この配置こそ、日本の神社の代表的な構成のあり方を表現しています。
神社へ足を運ぶ
ここからは実際に自分が神社に足を運んでいる様子を目線に、書いてみようと思います。
まず、神社に向かうと大きな鳥居が構えています。
神社の作りによってさまざまですが、入り口にある鳥居を一の鳥居、その先に二の鳥居、三の鳥居と設けられているところもあります。
神社に関連している建物、鳥居、境内に生えている木々、全てを含めて神社と言い、これらは全て神域になります。
また神社の入り口に、川が流れていることもあります。川がある場合「神橋(しんきょう)」といわれる橋がかかっています。まさにこの川、この神橋こそが「神様の住む世界」と「人の住む世界」をつなぐものなのです。
鳥居をくぐると真っ直ぐに続く道「参道」があります。
参道を進んでいくと「手水舎(てみずや)」と呼ばれる、参拝者のための手を洗い、口をすすいで身を清める場所があります。
神様へお近づきになる下準備です。
その先を進むとわたしたちが参拝をする「拝殿(はいでん)」に辿り着きます。
拝殿は参拝者が神様を礼拝する場所、ここから神様へ気持ちを届けます。
この拝殿の先にある空間が、「幣殿(へいでん)」。
神主さんが神様へ飲食や品々を奉る場所です。
こちらも、神社によってさまざまですが拝殿と幣殿が一緒になっている場合もあります。
そして一番重要な場所。「本殿(ほんでん)」。
拝殿、幣殿を越えた一番奥にある、ご神体が安置されているところです。
人が入ることを前提にしていないため、外から見えないことが基本です。
わたしたちが神社で参拝している時、拝殿、幣殿を通して、遠い本殿へ拝んでいるということになります。
他にも境内には小さな社がいくつかありますが、これらを「摂社(せっしゃ)」や「末社(まっしゃ)」と言います。
本殿に祀られている神様と血縁関係にある神様が祭られています。
ちなみに神社の数は全国で8万8千以上あるとされています。その数コンビニ以上。
悪いことをするとバチが当たると表現しますが、
八百万の神様がいるのであれば、本当に神様はどこかで見ているのかもしれません。
いちごバターの感想
勉強している中で一番気になったのは、わたしが普段参拝に行っている時は、拝殿、幣殿を通して遠くから神様を拝んでいるということ。
参拝しながら、神様どこだろう、、、?
と奥の部屋を覗いてみたりしているのですが、そもそも神様の居場所は見えなかったんですね。
遠くから神様を拝んでいるということは、足を運んで身を清めて参拝するのはもちろんのこと、神社に行きたくても行けない時には、遠くから神様を思い出して心で拝むこともとても大切なんじゃないかと思いました。
世界では宗教や考え方の違いで争いが起こっています。確かに遠い国で起きていることだけれども、見て見ぬ振りはしたくない。
自分には何ができるかと考えると、こうやって知りたいと思うこと、自分の身近を見つめること。
少しずつ、自分の身近から世界へと視線を広げること。それがわたしにできることなのだと、改めて感じました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
参考にさせていただいた本はこちらです。