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臨済宗と曹洞宗、どっちがいいの?

 日本の禅宗には、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三派がある。臨済禅師の師匠が黄檗禅師なので臨済宗と黄檗宗はよく似ているようだが、曹洞宗は勝手が違う。
 臨済宗という宗派は坐禅をして悟りを開くことをその宗旨としているが、実際に悟りが開けるのは十万人に一人と言われている。その悟った一人一人が一般の人に対し布教をして、心の安心を得てもらうのが臨済宗のやり方である。本当に本当のところを知りたければ、十万分の一という狭き門をくぐり抜けなければならない。
 それに比べて曹洞宗の禅では悟りは求めない。坐っている姿そのままが悟りであると説かれる。だから坐ればみんな仏様である。十万分の一に漏れても、九万九千九百九十九人の人はこの曹洞宗の教えで救われるのである。
 では、臨済宗と曹洞宗は何が違うのか。最も違うところはその修行法にある。臨済宗は公案(禅問答)を使って教えるのに対し、曹洞宗は只管打坐(しかんたざ)、ただ坐れと指導する。
 また、臨済宗の坐禅は時に苦痛を感じるものであるが、曹洞宗の坐禅は「安楽の法門」と呼ばれていて、坐禅そのものがリラクゼーションであるべきだと説かれている。
 こう書いて行くと、曹洞宗の方が優れていそうだが、まさにその通りと言いたい。私は臨済宗に縁があったのでずっと臨済宗を中心に坐禅会を回っていたが、十万分の一に通っても、悟了同未悟、悟り終われば未だ悟らざるに同じ、で、あまり意味はなかった、というのが正直な感想である。なので、十万分の一というと何かすごいことであるかのようだが、私は結局元の木阿弥だったのでそれほど傲慢にならずにいられているのだと思う。そしてこれから坐禅を始める皆さんには、出来れば曹洞宗で坐ることをおすすめしたいのである。
 しかし十万分の一の方を目指す人も、私は止めない。なぜならここのような法話を聞く場所に参加するだけで、一万分の一には入っていると思うからである。それで、坐禅会に行くようになればそれが千分の一になり、仏教系の大学に通うようになれば百分の一となり、老師と禅問答するようになれば十分の一となる。そういった努力も大切なことである。

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