『青白い炎』感想

ナボコフの『青白い炎』を読んだので感想を書きます。


『青白い炎』という小説は、架空の詩人であるジョン・シェイドによる長編詩(表題を「青白い炎」)+キンボート氏による詩の註釈+前書き、索引を合わせた四つの要素によって成り立っています。

この九九九行の詩に対して付される註釈の量は膨大であり、前半の詩よりかは、後半の註釈が小説のメインと言っても差し支えないほどです。


さて、じっさい読んでみると奇妙なのは、「青白い炎」という詩の不完全さです。

いざ読みはじめると、ジョン・シェイドの詩はとてもじゃないけど傑作とは呼べないことが分かります。正直なところ、「なにこれ?」みたいな。もちろん、ところどころは目を見張るような詩行があるとはいえ。

ただ、不思議なことに、キンボート氏の明らかに的外れな、自己中心的なゼンブラ国についての解説が入ることによって、ジョンの詩の輪郭が徐々に明確になっていきます。それは時々、こじつけも甚だしいキンボートの註釈と、ジョンの詩の一部が、みごとにぴったりと融合しているようにみえる節さえあるほどです。内容の大幅な逸脱さえなければ、キンボートは有能な注釈者だと思います。

さて、キンボートは、かつて自分が住んでいた国「ゼンブラ」に並々ならぬ思いがありますので、友人であり、自分が心酔する作家でもあるジョン・シェイドに「是非、ゼンブラをあなたの詩の題材にしてほしい」旨をたびたび伝えます。あるいは書くようにそそのかします。

結果的に、「青白い炎」はキンボート氏が熱烈に望んでいたチャールズ最愛王(ゼンブラ国の王様)の伝記ではなかったわけですが、読者は注釈者によって語られる思い出話か、あるいは作り話を丹念に読み込むことによって、おのずと詩の解読方法を習得します。

クロスワードパズルみたいな小説ですね。穴食いの答案用紙(詩、青白い炎)と、穴食いを埋めるためのヒント欄(キンボートの註釈)と、完成されたパズル(一冊の本)。クロスワードが完成したあかつきには、ナボコフが提示したかった世界が読者にも見えるかもしれません。


文章がむつかしい上に、原語で読まれることを想定して書いてあるから、正直和訳されたものを読んでも分からないことだらけです。(英雄対韻句とか弱強格とか)最近、ECCとかのチラシを見かけると捨てるのを躊躇ってしまいます。前なら迷わずゴミ箱にポイでしたが。勉強って大事ですね……

とはいえ、日本語で読むのが無意味かと言われればそうではありません。後半につれて深まっていく話の内容、キンボートとその妻ディサのやり取り、登場人物たちの口(主にキンボート)を借りて語られるナボコフの思想など、読み応えはバッチリです。それはもう、どっと疲れるほどバッチリです。

人間の生涯は膨大で晦渋な未完の傑作に付された一連の脚註にほかならない

p494

わたしは存在を、
少なくとも自分という存在の微小な部分を、
ただ自分の芸術を通じてのみ、組合せの歓び
によってのみ理解できるように感じる。
そしてもしもわたしの私的な宇宙が正しく韻を踏んでいるなら、
神々しい銀河系の詩も韻を踏んでいることになる。

p177-178
お見事……

こういうふうに、ひとつの小さなまとまりの中で表現された言葉たちが、『青白い炎』全体を表しているというのが往々にしてあります。

クライマックスである、詩の第四連の内容とキンボート氏の註釈が大幅にズレていく箇所はひどく胸が痛みました。ハンバートの時もそうですが、主人公の人格がいかに褒められたものではないとはいえ、これだけどっぷり読み耽っていると、語り手に感情移入してしまって、その痛みが自分にまで伝播するような心地がしますね。

分かりにくい箇所、わからない箇所が多々ありますが、少なくともこれを読めばナボコフが凄い作家であること、素晴らしい作家であることが分かると思います。

読了し終え、ほっと息をつきながらも、今度は無意識に自伝(『記憶よ、語れ』)をAmazonで注文しているので、ナボコフには不思議な中毒性があるようです。

最後に一言、『青白い炎』は小説というよりかは、芸術作品でした。


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