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文章なんて誰でも書けるようになる
「文章の学校」へようこそ。ここでは、文章の学校の主宰である元木哲三が、言葉の力を磨きたい迷える学生からの質問にお答えします。
今回は、先天的な文章を書く能力に関する質問です。
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尋ねる人: 内川美彩
文章を生業にしている人の子が小説家になる話は、珍しくありません。
森茉莉、よしもとばなな、江國香織、えーとそれから……。
才能は、遺伝するものなのかなあなどと、彼らの作品を読むと考えてしまいます。
かくいう私は「論理的に文章を書く」ことが苦手でずいぶんと苦労してきました。
「どうして元木さんの文章はこんなに理路整然としているんだ? 魔法使いか何かかしら」と、ずっと不思議に思っていました。
そういえば、私の母の話はいつも支離滅裂で会話が終わる頃には何の話をしていたかわからない、なんてことがよくありました。
はてさて、元木さんのご両親はいかがだったのでしょうか。
理路整然と話すことがお上手で、文章も得意だったのでしょうか。
やはり、才能は遺伝するのでしょうか。
そうだとしたら文章技術を後天的に身に付けるのは難しいことになってしまう。そんなこと“「文章の学校」の中の人”としては信じたくないのです。
そしてもし遺伝しないのだとしたら。
後天的に身に付けるために、日々の中でできることを教えてください。
「まあ、勉強するしかないよ」と突き放すのは嫌ですよ!
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答える人:元木哲三
ちょっとこれは想像を超える質問だったな。知りたかったら、遺伝学の研究者に尋ねるしかないんじゃない?
っつーわけで、じゃ、これで!
というのは許されないでしょうから、しばらくお付き合いしましょう。
「あんた、山に登るときは、あれに泊まるとね。ほら、あれ、ガンバロー」
こんなことを言う母ですよ。皆無と言っていいほどの論理性のなさが、なんというか、魅力ではありましたがね。
「え! スズムシは口で鳴いてるんじゃないの?」
にも、驚いたね。本当にこの人が自分の母なんだろうか、と疑いました。
父は比較的、論理で話すタイプだとは思います。考えることが好きで、肉体労働者でしたが、時間を見つけては本を読んでいました。
ただ、ぼくの筆力が彼からの遺伝によるものだ、と言われてもピンとこないし、正直、ぼくはどちらでもいい。冷たいようだけど、遺伝であろうがなかろうが関係ないし、ぼくの父親が鴎外や吉本隆明ではなく、良一だったことを嘆いてみても仕方がないしね。
物書きとして有利な遺伝子を持っていようがいまいが、ぼくはライターとして生きていくし、死ぬまで文章を書いているのだろう、と思っています。
読み聞かせと本屋入り浸りで「読む人」に
そんなぼくでも両親に感謝していることはいくつかあります。ぼくは4兄弟の4番目なんだけど、生まれてから数年は、両親の仕事が最も忙しい時期だったので、保育園に通うことになりました。
面倒は祖母が中心となって見てくれていたので、母は贖罪のような気持ちで(本人談)、「寝るときくらいは」と読み聞かせをしてくれました。物語を聞きながら眠るのは、とても幸せなことだったし、このときに本のおもしろさに目覚めたんじゃないか、と思う。
実際、読み聞かせをしてもらったのは長兄とぼくで、間の二人に対しては、母は本を読んであげてないんだけど、読書量が多いのは長兄とぼく。因果関係はあるんじゃないかな、と個人的には考えています。
あと、父が読書家だったせいで、家にはとんでもない量の本があったこと。それを読んでいる父の姿を幼い頃からずっと見ていたこと。
海や山、遊園地での週末なんてことはなかったけど、毎週のように本屋に連れて行ってもらい、本だけは一冊、好きなものを選んで良かったこと。それらがぼくを「読む人」にしたのは確かなことだと思います。
文章術のほとんどは形式知化できる
「読む」ことと「書く」ことは、ほとんど同じ作業だとぼくは思っています。読むことが書くことの訓練になるという意味では、ぼくは小さい頃から書くための訓練をしていたことになります。
その環境は主に両親が与えてくれたものなので、遺伝ではないけれど、ぼくが物書きとして暮らしていることと、彼らのもとに生まれた運命は関係しているのでしょう。でも、まあ、それだけのこと、と言ってしまえば、それだけのこと。
文章を書く力のほとんどは、大学を卒業して出版社に入社してから身につけたものです。それは「才能を磨こう」とかいう、漠然としたものではなく、「行うという動詞は使うな」「書き出しにすべてを賭けろ」とかいう実践的なものがほとんどでした。これなら、誰でも真似できるわけです。
ぼくがこうしてせっせと文章に関する原稿を書いているのも、一人でも多くの人に文章術を身につけてほしいから。必ず身につくと信じているからです。そこからコミュニケーションをどんどん改善してほしいのです。
というわけで、宣伝という意味でも言っておくと、後天的に書くチカラを身につけるためには、まずはこのnoteを熟読し、実践することじゃないでしょうか。
※「福岡Webライティング道場」では、このような話題をおもしろく、深く追求しています。
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