【映画】「愛に乱暴」感想・レビュー・解説

これはホントに、絶妙にヒリヒリする物語だった。描かれているのは「ありふれたような日常」なのだが、その日常が少しずつ歪んでいく。その歪み方がとても絶妙で、さらにそれを江口のりこが実に見事な感じで演じるので、なんとも惹き込まれてしまった。

「認めてもらうこと」というのは、どんどん難しくなっていくなと思う。今僕は41歳なので、年齢だけで言っても「認めてもらうこと」より「認めること」の方が役割として求められるような気がする。また、世の中はどんどん「便利」になっているから、「個人が提供できる『便利さ』」程度では、なかなか人は喜びや驚きを得にくくなったということもあると思う。そこそこ料理が上手い程度では冷凍食品に勝てない時代になっているだろうし、ちょっと絵が上手い程度だとAIに勝てなかったりもするだろう。

そしてだからこそ、「自分が望んだように認めてもらうこと」など、夢のまた夢だと言っていいだろう。僕は、割とこの辺りのことで「生きづらさ」を感じることが多い。

「置かれた場所で咲きなさい」じゃないが、「想像していたのとは全然違う部分で評価される」みたいなことは起こり得るかもしれない。そして、「どんな形であれ、評価されたら嬉しい」と感じるタイプの人は、それで満足できるだろうと思う。でも僕は、なかなかそうは思えない。まあそもそも、さほど「評価」を求めてはいないのだが、ただ、どうせ評価してもらえるなら「自分が望んだような形で認めてほしい」と思ってしまう。

恐らく、本作の主人公・初瀬桃子も、似たような感覚を持っているような気がする。

彼女は、無添加石鹸を作る教室を持っているし、あるいは「廃盤になってしまいずっと手に入らなかったカップセット」を手に入れて喜び、それでお茶を飲んだりしている。彼女の中に「良いなと感じる世界」があり、そして恐らく、「その世界を評価してほしい」と思っているような気がする。

ただ、それは上手くいかない。全然上手くいかないのだ。というか、「望んだように評価される」どころか、「誰からも評価されない」という状態にある。

これは地味にキツいよなぁ、と感じた。

冒頭で、仕事に出かける前の夫が洗面台で髭を剃った後、桃子が掃除をする場面が出てくる。そこで桃子は、素手で洗面台を洗い始めるのだ。彼女にとっては「当たり前の日常」なのかもしれないが、「洗面台を素手で洗う」というのは結構頑張ってるなぁ、と個人的には思う。しかし、もちろん夫はそんなこと知らないし、だから褒められもしない。

また彼女は、近くのゴミ捨て場が乱雑になっていたら、それが彼女の役割というわけでもないのに、率先して掃除をしたりする。時には、バケツに洗剤入りの水を入れてブラシでゴシゴシこするのだ。メチャクチャ頑張ってるなと思う。でも、誰からも褒めてもらえない。

桃子は、夫の実家の敷地内にある離れに住んでおり、声が届く距離に義母がいる。表向き、嫁姑は穏やかな関係を築いていそうにも見えるのだが、しかし随所で、「どうも義母が桃子を受け入れていない雰囲気」が漂う。その理由はしばらく分からないのだが、とにかく義母とも微妙な距離感を感じるのである。

彼女の日常は、こんなことの積み重ねで出来ている。

彼女は専業主婦なのだが、週に2回無添加石鹸の教室を受け持っているので、ある意味ではこれが唯一の「社会との繋がり」と言っていい。しかし、この教室も安泰というわけではない。

そんな風にして桃子は、少しずつ少しずつ削られていく。

しかしそれらは、「無視できなくもないレベル」のものだっただろうと思う。もちろん、桃子の中にダメージは蓄積しているし、心もざわついている。平穏なんかじゃ全然ない。でも、「まあ仕方ない」程度に流せはしたのではないかとも思う。その理由がしばらく分からなかったが、後半、「なるほど、桃子にも負い目を感じていることがある」ということが明らかになり、多少理解できた気にはなった。いや、それが理由かは分からないし、あくまでも僕が勝手に納得したというだけに過ぎないが。

しかし、作中で突きつけられるある事実に、桃子は耐えられなかった。それは、彼女が日常で感じているような「心を少しずつ削っていく」みたいなダメージではなく、彼女が生きて存在している根幹に関わってくるようなものだったからだ。それは認められないだろうと僕も感じた。

ただ、それはそれとして、桃子の夫・真守の気持ちも分からないではない。「私が何かした?」と問う桃子に対して彼が突きつけた言葉はとても鋭利だが、ただ、「なるほどなぁ」という感じがした。これはもちろん、そこに至るまでの江口のりこの演技が見事だったという話に尽きるのだが、真守が初めて桃子に突きつけただろう「本音」は、何とも言えない説得力を持って僕に届いた。

この物語は、桃子と真守が結婚してから8年目の生活を描いている。だから、結婚当初、あるいはそれ以前の恋愛期間に2人がどのような感じだったのかはほとんど分からない。ただ、なんとなくだが、「最初から合わなかったのではないか」という気がしてならない。そして、そんな2人の結婚のきっかけを知ってしまうと、真守の今後にも色々と考えたくなるのである。

映画を観ながらずっと、「桃子のような人が、『ちゃんと評価された』と少しでも実感できる世の中であってほしい」と思わされた。なんとなくだが、世の中はもはや「金額換算で大きな成果を上げた人」か「歴史に名を残すような偉業を成し遂げた人」か「大したことをしていないのにアピールだけは上手い人」しか評価されない時代になっている気がしている。もちろん、「アピールだけは上手い人」以外は存分に評価されていい。でも、そうではない、金額にも換算できないし偉業でもない、でも「確かに世界を少しプラスに押し上げている行為」は、ちゃんと評価されてほしい。

そういう世の中にならないと、益々「金儲け」か「アピール」が上手い奴がのさばる世の中になって、社会が一層窮屈になってしまうように思う。本作では後半、桃子がなかなかの狂気を発するわけだが、それは、「『狂った世の中』に対抗するために狂うしかなかった」みたいな感じにも見えた。彼女の「おかしいフリをしてあげてるんだよ」というセリフは、そんな宣言にも聞こえたのである。

そしてそんな狂気を「ファンタジー」にならないように、ちゃんと現実に繋ぎ止めながらギリギリまで爆発させる江口のりこの演技が流石だなと感じた。

さて、役者の話で言えば、まずしばらくの間、真守を演じているのが小泉孝太郎だと気づかなかった。いや、「小泉孝太郎に似てるなぁ」と思っていたのだけど、小泉孝太郎だとは思わなかったのだ。役者本人と役柄が違うのは当然だが、しかし、普段の小泉孝太郎の感じとは全然違う「クソダメな夫」で、小泉孝太郎っぽく見えなかったのだ。彼が演じる真守は、こちらも絶妙に「ダメ」な感じが出ていて、とても良かった。

そして同じく「絶妙さ」で言えば、桃子の義母で真守の母である照子を演じた風吹ジュンも流石だった。「うわぁ、こういう、悪気ない感じでナチュラルに嫌な感じを出してくる年寄りいるよなぁ」という雰囲気が絶妙で、大変良かった。

また、「気づかなかった」という話でいえば、青木柚に気づかなくて驚いた。エンドロールに「青木柚」の名前があって、「えっ、どこに出てた?」と思って後で調べたんだけど、無添加石鹸の教室にいるあの男が青木柚だったのか。マジで気づかなかった。映画『MINAMATA』の時も青木柚に気づかなかったから、まあさすがというべきだろうか。いや、今回は、単に僕があまりに気づかなすぎという感じもするが。

ストーリーだけ取り出したら、結構「へっ?」ってなるようなムチャクチャな感じがすると思うんだけど、それを役者たちが絶妙な感じでリアルの世界に落とし込んでいる感じがあって、そんな役者の演技に圧倒された作品だった。


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長江貴士
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