【映画】「狂熱のふたり 豪華本『マルメロ草紙』はこうして生まれた」感想・レビュー・解説

恐らく、こんな豪華な本作りは二度と出来ないんじゃないか、という気がする。「豪華」というのは「大金を注ぎ込んでいる」というだけのことではない。縦横無尽の博学を有する作家・橋本治、印刷に関する知識までかなり深く理解している画家・岡田嘉夫。この2人は、映画公開時点で既に亡くなっているのだが、そんな「天才×天才」という「豪華さ」は、もう実現されない。小説の連載期間を除き、純粋に「本作り」だけのために8年もの歳月を費やした贅沢過ぎる本作りは、まさに「大人が本気で遊んでいる」という感じで、素晴らしかった。

あとはシンプルに、「体力があるだろう集英社が出版元である」ということも大きな要素だっただろう。こんな本作り、恐らく現代の日本では、集英社・講談社・小学館・KADOKAWAみたいな「IP創出」が得意な出版社にしか不可能だろう。ホントに、「道楽」と言っていいようなプロジェクトである。

さて、僕が本作『狂熱のふたり』を観に行った理由は、ある友人の存在が関係している。僕より10歳ほど年下(今30歳ぐらいだと思う)で、「橋本治が好き」という女性がいるのだ。「好き」というか「心酔している」と言っていいレベルで、凄まじく膨大な橋本治の作品群を古本で少しずつ集めては読んでいるようだ。彼女は、橋本治や沢木耕太郎などごく一部の作家の本しか読まない、というタイプの人で、その中でも橋本治が群を抜いて好きなのだそうだ。

そして今年2024年、そんな彼女から「神奈川近代文学館でやっている『帰って来た橋本治展』に一緒に行きませんか?」というお誘いがあったので行ってみたのだ。そして、その展示の入口に、本作『狂熱のふたり』で使用されている映像を短くまとめた20~30分程度(だったと思う)の映像があったのだ。それを見て、「ホント、凄まじいことするな」と思っていた。そんなことがあって、本作『狂熱のふたり』が劇場公開されることを知ったので、やはりこれは観ないわけにはいかないだろうと考えたというわけだ。

ちなみに、彼女は実は前日も同じ展示に足を運んでいたという。僕と行ったのが2回目だったというわけだ。最初は、橋本治の妹が出てくるトークイベントをメインに行ったとかで展示はあまり観られなかったという。あと、彼女は東北に住んでいて、この展示のためにわざわざ神奈川までやってきたのである。彼女もまた「橋本治に狂熱している」と言っていいだろう。

さて、そんな風に出版された『マルメロ草紙』は、限定150部、35000円(たぶん税抜き)という仕様である(ネットで調べると、1870円で一般向け仕様で出版されているようだ)。2013年12月10日に発行されたのだが、『婦人画報』という雑誌で連載されていた本作の出版に関する打ち合わせが始まったのは2006年1月10日である。

ちなみに、『婦人画報』での連載は恐らく、もっと前に終わっていたはずだ。しかし、2006年に出版の企画が進んだのにはわけがある。橋本治が2004年に出版した『蝶のゆくえ』という小説が、翌年2005年に柴田錬三郎賞を受賞したのだ。ここには「長年の出版界に対する貢献への評価もあった」(みたいに言っていた気がする)そうなので、「そういうタイミングであれば、予算が死ぬほど掛かる企画も通りやすいかもしれない」という話になったそうだ。だからこそ、2006年の頭に編集者などが集まって、キックオフのミーティングが行われたというわけだ。

その最初の段階から、まあみんなハチャメチャなことを言う。「紙の地色に白を使いたくない」「パリが舞台だから、地色のところを絹みたいなドレープにしたい」「文字を黒にするの、止めたいんだよねぇ」などなど。中でも、小説家とは思えない発言だったのが、

【文字の色を一文字ずつ変えて、宝石箱をばらまいたみたいな感じにしたいんだよねぇ。普通なら「読みにくい」とか言って却下されちゃうんだけど、「文字が読みにくいからダメ」みたいな先入観は取っ払いたいのよ。まず優先すべきは「わぁ! 綺麗!」であるべきで、そう感じてくれたら「読もう」って思ってくれる人も出てくるわけだからさ】

さて、実際にはこの「宝石箱をばらまいたみたいな文字色」というアイデアは、色んな理由から不採用となった。しかし本作中には、実際に文字を一文字ごとに変えて印刷したバージョンも映し出される。この文字色については、何度も行われた打ち合わせの中でかなり議論の対象になっていたが、とにかく大人たちが真剣にやりあっている姿はとても興味深かった。

しかしホントに感心させられたのは、橋本治の知識・アイデアである。僕は橋本治の本は読んだことがないのだけど、友人の女性から話を聞いていたり、神奈川近代文学館の展示を見たりして、橋本治の「化け物みたいな知識量」は知っていたつもりだけど、にしたって、印刷や紙、本作りについて、それを専門にしている人たちと対等以上の議論が出来ている。さらに、アイデアが次から次へと出てくるし、また、話し合いの中で自身や誰かが出したアイデアに対して、「例えばこういう感じ」と、自宅にある様々な本を引っ張り出してきては「イメージに合うもの」を見繕ってくるのだ。こんなこと、本当に博識じゃないと出来ないだろう。

映画の冒頭では、『マルメロ草紙』の挿画を担当した岡田嘉夫が、「今はもう、絵描きと一緒になって本作りをしようなんて思う作家はいなくなってしまった」みたいに嘆いていた。まあ確かに、「デザイン」というものが独立して分業されるようになったことで、「執筆」と「本作り」が分かれてしまったのだろうけど、本来はたぶん一体的なものだったのだと思う。ただ、「デザイン」があまりにも高度になりすぎて、知識のない人間が手出し出来ないものになってしまっているのも確かだろう。そういう意味でやはり、橋本治の知識量あってのプロジェクトだったなという感じがする。

また岡田嘉夫は、印刷を担当したTOPPANとの打ち合わせを重ねて最終的な色を決めた後で、「この緑とピンクが綺麗に出ているのは凄い」と話していた。4色の印刷の場合、「シアン、マゼンタ、イエロー、ブラック」の4色を組み合わせて色を作るわけだが、恐らく「シアン」「マゼンタ」「イエロー」「ブラック」ごとに版を作って重ねていく、みたいなことなんじゃないかと思う(たぶん)。で、その際に、「シアンの上で緑を綺麗に出そうとするとピンクに影響してしまう」「マゼンタの上でピンクを綺麗に出そうとすると緑に影響してしまう」みたいなこと(作中ではそんな具体的には説明されなかったから、ここに書いたことは僕がイメージする適当な説明だが)があるのだそうだ。だから本来は、緑とピンクは同じ印刷面ではなかなか綺麗に出ない。でもそれが出せているのは凄いと、彼は感心していた。

そしてその後で彼は、「こういうことが分かる人は少なくなってしまいましたね」みたいに言っていた。これも勝手な予想だが、「DTP」みたいなものが出てくる前の印刷技術の場合は、「それぞれの色の版を重ねる」みたいなことについて、デザインに関わる人間もある程度知識を持っていないと上手くいかなかった、みたいなことがあるんじゃないかと思う(分からないけど)。だから岡田嘉夫はそういう知識を持っているが、「DTP」の登場で、デザインに関わる人はそういう知識を持たなくてもよくなり、そういう知識を持っている人が少なくなっている、みたいなことなのかもしれない。

まあいずれにしても、橋本治・岡田嘉夫の「狂気」によって実現した企画だと言っていいだろう。

あと面白いと思ったのは、『マルメロ草紙』の話ではなく、同じく小説・橋本治、絵・岡田嘉夫のコンビで作られる『双調平家物語』の打ち合わせの話。これは2006年10月12日に行われた打ち合わせの模様なのだけど、その中で彼らは「印刷技術を噛ませたからこそ出来た芸術」の話をしていた。

これも、観客向けに説明されるわけではないので、あくまでも僕の解釈に過ぎないが、どうやら「岡田嘉夫が別々に書いた絵を印刷の段階で組み合わせる」というやり方であるようだ。橋本治と岡田嘉夫は、岡田嘉夫の絵を色々切り貼りしてベースとなるものを作り、それを元に印刷機で組み合わせ出力するのだ。岡田嘉夫は、「僕はこれしか描いてないんだけど、これがこうなったんだよね」みたいな言い方で、新しい形の芸術への驚きを示していた。

面白かったのが、その打ち合わせには印刷会社(TOPPANではない)の人もいて、橋本治と岡田嘉夫の議論に首を突っ込んで「こうしたらどうですか?」みたいなことを言っていたこと。そしてそれが、「いいですね~」と採用されたりするのだ。「印刷」というのはなんとなく、「与えられたデータをそのまま出力する」みたいな印象を持ってしまうが、「クリエイティブ」的な側面もあるんだな、みたいに感じられた。

そして、『双調平家物語』での経験を踏まえてのものなのだろう、『マルメロ草紙』においても彼らは、ゲラ刷りに追加の絵をペタペタ貼り付けては新しい案として提示するのである。恐らくそんなこと、普通作家や画家はしないのだろう。というのも、いつの場面だったか忘れたが、誰かが橋本治と岡田嘉夫に対して「勝手にやって」みたいなことを言った時に、『マルメロ草紙』のデザインを担当した中島かほるが、「この人たちはいつも勝手に変えちゃうんですよ~」みたいに言っていた。恐らく、本来はデザイナーがやるようなことを2人が率先してやっているのだろう。

まあそんなわけで、本作は、最初から最後までずっと「打ち合わせ風景」のみの映像だけに終始している。それもまた凄い点だなと思う。普通は、橋本治や岡田嘉夫、あるいはデザイナー・編集者・印刷オペレーターなど様々な人へのインタビューなんかも含めたくなるものだと思うけど、そういうことは一切しない。延々と打ち合わせのシーンだけをつなぎ合わせていく。

まあその構成が、映画として面白いものになっているかは別途議論が必要かもしれないが、それはそれとして、「橋本治・岡田嘉夫の狂気を切り取る」という意味では非常に良い構成だったと思う。

しかしホントに、橋本治みたいな人間はまあ出てこないだろう。いわゆる「知識人」と言われる人の中でも異次元の存在という感じで、硬軟様々な領域に対する造詣の深さが異常だった。また、Wikipediaでも見てほしいが、出版点数も異常だし、関わっている領域も広大だ。若干「レオナルド・ダ・ヴィンチ」感さえあるように思う。

そんなぶっ飛んだ大人たちによるぶっ飛んだ本作りの話にぶっ飛んでほしい。

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長江貴士
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