【映画】「小学校~それは小さな社会~」感想・レビュー・解説

さて、本作『小学校~それは小さな社会~』は、日本でごく一般的な生活を送ってきた人(日本国籍を持つ人に限らない)であれば、「当たり前の光景」しか映らない作品だと思う(まあ、少し例外はあるが)。本当に、ただただごくフツーの「小学校の生活」の風景である。掃除をしたり、給食を配膳したり、運動会の練習をしたり、などなど。地域や年代によって多少の差はあるだろうけど、「大体こんな感じの小学校生活だった」と、誰もが思うんじゃないだろうか。

しかしそんな映画が、フィンランドでは1館の上映から20館に拡大され4ヶ月のロングランの大ヒットを記録しており、その他、色んな国で公開されているそうなのだ。

さて、僕は本作の公式HPを見るまで知らなかったのだが、「TOKKATSU」という英語が存在するそうだ。これは「特活」、つまり「特別活動」のことだそうだ。では「特別活動」とは何か。それは、「教科・学科外活動」のことを指す。ざっくり言えば、「掃除」や「給食の配膳」などである。

そう、僕はあまりちゃんと知らなかったのだが、「児童が自ら掃除や給食の配膳をする」というのは、世界的に見てかなり珍しいそうだ。「TOKKATSU」は「日本式教育」として世界的に注目を集めているそうで、だからこそ、僕らにとっては「当たり前」でしかない「小学校生活」が映し出されているだけの映画が、諸外国で評価されているのである。

では、そんな映画を撮っているのは一体誰なのか? この点も、鑑賞後に公式HPを見るまで知らなかったのだが、「イギリス人の父と日本人の母を持ち、公立小学校を卒業した後、中高はインターナショナルスクールに通い、その後アメリカの大学に進学した」という山崎エマというドキュメンタリー作家である。

公式HPによると、彼女は、

【ニューヨークに暮らしながら彼女は、自身の“強み”はすべて、公立小学校時代に学んだ“責任感”や“勤勉さ”などに由来していることに気づく。】

と言っており、さらに、

【「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている。すなわちそれは、小学校が鍵になっているのではないか」との思いを強めた彼女は、日本社会の未来を考える上でも、公立小学校を舞台に映画を撮りたいと思った。】

と書いている。「日本の公立小学校に通いつつも、海外視点も持っている人物」だからこそ、「日本らしさ=外国人が違和感を覚えるポイント」が理解できるのだろうし、だから、ごく一般的な日本の観客には「違和感」などほぼ無いだろう本作はきっと、外国人視点では「違和感だらけ」なのだと思う。

そんな風な事前の知識を踏まえた上で観てみると、より興味深さが増すかもしれない。

さて、冒頭で僕は「(まあ、少し例外はあるが)」と書いたのだが、それは、本作の撮影がまさにコロナ禍真っ只中に行われていることにある。みんなマスクをしているのは当然のこと、「入学式の校歌斉唱は『心の中で歌って下さい』と声出し無し」「給食の時間は、各机に備えられているシールドを立てて黙食」と言った、「恐らく観客の誰も経験したことがない小学校生活」も映し出される。ホント、小学生のリモート授業とか、超大変だろうなぁと思う。先生方も、相当苦労しただろう。

さらに、そんなクソ大変な時に撮影スタッフを受け入れるというのも、相当な決断だっただろう。よくもまあ、許可が出たものだと思う。公式HPには何人かのコメントが載っていて、その中に「ジャーナリスト・フジテレビ解説員 鈴木款」による、

【「よくこんな映像が撮れたなあ」学校の取材は難しい。この作品ができたのは監督スタッフの熱意が先生や子どもたち、保護者に伝わり信頼関係がつくられたからだ。】

というものがある。恐らく、実際に取材に関わったことがあるからこその実感なのだろう。ただでさえ学校の取材は難しいのに、さらにコロナ禍なのだ。「コロナ禍の小学校生活を撮ろうと思った」のか、あるいは「準備を続けてきていざ撮影できるタイミングになったらコロナ禍に入ってしまった」のかは不明だが、普通に考えれば後者だろう。恐らく、通常の撮影の何倍もの苦労があったんじゃないかと思う。

それでも、監督は現場で4000時間を過ごし(1日10時間だとしても1年以上だ)、さらに撮影は1年の内の150日間、700時間に及んだそうだ。

さて、個人的に良いなぁと感じたのは、「教師が児童を泣かせるぐらい怒っているシーン」である。ある女の子が、「新1年生を迎える演奏会の打楽器に立候補し、オーディションを受けて選ばれたのだけど、練習している雰囲気が感じられずに怒られる」というシーンがある。普通なら、「カメラが回っている状況でそんなことはしたくない」だろう。親が何を言ってくるか分からないからだ。しかし、このシーンに限らないが、教師が生徒に対して厳しく接する場面も使われている。そういう場面から、「教師と児童、そして教師と保護者の信頼関係が普段からある学校なんだろう」みたいに感じさせられたし、さらに、本作のメインは子どもたちではあるのだけど、随所で映し出される「先生たちの本気」みたいなシーンも印象的だった。子どもに厳しく接する教育が難しくなっている世の中であるような印象を持っているけど、個人的には、やはり厳しく言うべきところはそうすべきだし、先生たちの間でも「『指導』とは?」みたいな議論が修学旅行(林間学校?)中に行われるなど熱さが際立っていて良かった。

あと、個人的に結構驚いたのが、「下駄箱への靴の入れ方を児童が採点する」というシーン。当番が決まっているのだろう、「◯◯さんは花マル、◯◯さんは三角」みたいなことを誰かが言って、別の人がそれを紙に書き取っていた。さらに最終的に、タブレットで撮影までしていたのだ。

そして、そういうチェックがあるからだろう、普段から子どもたちは、自分の靴だけではなく、自分の靴箱の周辺の靴の整理をする、みたいなことが習慣になっているようだ。これは結構びっくりした。

あと、知識としては何となく知っていたものの、「男女関係なく『さん』付け」で呼んでいたのも印象的である。驚いたのは、先生が児童を呼ぶ時だけではなく、児童同士でも「さん」付けだったこと。確かに、先生が「さん」で呼んでいるとそれが普通になるだろうけど、でも、幼馴染と同じ学校になるみたいなこともあるだろうし、そういう場合は「くん・ちゃん」が学校内だけは「さん」になったりするんだろうか? 幼馴染っぽい男女が割とメインで映し出されていたのだけど、お互いの名前を呼んでいるシーンはなかった気がするので分からなかった。

あと、これは大分前に何かのフィクション映画で観て驚いたことなのだけど、小学校(中学校もなのかな?)の机と椅子の脚にテニスボールが履かされていること。初めは、「そのフィクション映画の何らかの伏線なんだろうか?」と思ったのだけど、そうではなくて、「机とか椅子を移動させる時の音や振動を軽減する目的」でそうなっているそうだ。僕が小学生だった頃(もう30年以上前である)にはなかったから、どこかのタイミングで「当たり前」に変わったんだろうけど、初めてその光景を観た時には本当に驚いた。

ちなみに、本作には「説明」は一切無い。ただ、これは日本公開版だけ、みたいなことかもしれない。いや、日本と諸外国とでバージョンが違うのかどうかさえ知らずに書いているが、「日本人には説明しなくても分かるだろう」ということで説明を除いた可能性はあるだろう。ただ、なんとなくだが、外国人向けにも説明なしで提示しているような気はする。それぐらい「TOKKATSU」が広まっているみたいにも解釈できるし、あるいは、「説明が無くても良さが伝わる」と監督が判断したみたいなこともあるかもしれない。

まあともかく、「今何をしているのか?」みたいな説明は一切無いので、例えば、「教師が無人の教室にルンバを走らせている」みたいなシーンの意味とかよく分からなかった。長期休み前とか、長期休み明けの直前とかに、先生が独自にやってることなのかもしれない。分からないけど。「ルンバ?」と思った。教室に、大変場違いだった。

さて、撮影に関して書くと、まず不思議だったのは「子どもたちが全然カメラに興味を示さないこと」だ。もちろん、「カメラに興味を示したシーンをカットしている」のだろうし、あるいは、「長くカメラを回していれば、その存在が当たり前になってくる」のだとは思うけど、にしても、小学1年生があんなにもカメラの存在を無視して振る舞えるというのは結構驚きだった。特に個人的には、放送部の2人の会話とか雰囲気が良かった。

あともう1つ。「音声をどう録ってるのか?」が気になった。「先生や児童にピンマイクでも付いてるのか?」と思うぐらい、カメラから遠くでなされているやり取りもクリアに録れてるだよなぁ。不思議。さすがに、マイクを持った音声さんがいるとは思えないし(カメラだけでも異物なのに、マイクもというのは許容されない印象がある)。

まあそんなわけで、映画『14歳の栞』を彷彿とさせるところもありつつ、「人」以上に「小学校という社会」に焦点を当てた作品であり、「なるほど、これに外国は興味を抱いているのか」という興味で見ると面白いのではないかと思う。

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長江貴士
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