【映画】「ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?」感想・レビュー・解説

これはなかなか興味深い映画だった。例によって「ブラッド・スウェット&ティアーズ(BS&T)」というロックバンドのことは知らなかったが、「米ソ冷戦」を背景に、「『鉄のカーテン』を越えた初のロックバンド」と称された彼らの数奇な運命が映し出される。しかも、「当時は言えなかった事情」により、彼らは「何故そんなことをしたのか?」を説明できなかったため、悔しい思いをしたそうだ。「アメリカのビートルズ」とも呼ばれ、「画期的なホーンアレンジ」「ジェネレーションギャップの時代に世代を越えられるバンド」とも呼ばれた超人気ロックバンドは、政治の渦に巻き込まれたために、その実力が大いに評価され、世間からも人気を集めていたにも拘らず、短命に終わってしまった。

さて、「『鉄のカーテン』を越えた」という表現からも分かる通り、彼らは「共産主義国」だった東欧の3国、具体的にはユーゴスラビア、ルーマニア、ポーランドに西側のロックバンドとして初めてコンサートを行ったのである。そしてこの出来事が、大人気だった彼らの運命を大きく変えてしまうことになった。

本作は冒頭で、「コンサート中やそこに至るまでの大変な出来事」についてのダイジェストがまとめられる。「空港を出ると銃を持った兵士がいた」「まるでスパイ映画のようだった」「客席に警察犬を放し、観客を追い払おうとしていた」など、ちょっと信じがたい話が色々と出てくる。これらは、後で分かるが、ほぼすべてルーマニアでのライブでの出来事である。

その後、「BS&Tが何故東欧ツアーに行くことになったのか?」という経緯を説明する流れの中に、「ラリー・ゴールドブラッドという謎のマネージャーの存在」や「BS&Tの結成秘話とアル・クーパーの脱退」「東欧ツアーに至るまでにいかにしてBS&Tは大人気ロックバンドになったのか?」みたいな話が挿入されていくことになる。どの話も、東欧ツアー中の出来事ほどではないものの面白く、エピソードに事欠かないバンドだなと感じた。

というわけでまずは、本作の最も核心的な部分である東欧ツアーの話をざっとしていくことにしよう。

先ほど触れた通り、このツアーの背景には米ソ冷戦の存在がある。1968年にニクソン大統領は「ベトナム戦争からの撤退」を掲げて支持を集めたが、結局戦争を悪化させただけであり、そしてベトナム戦争はアメリカ国民を分裂・分断していく。そしてこのような時代背景があったのだろう、アメリカでは「カウンターカルチャー」という、「高級文化に抵抗する文化」が広まっていくことになる。BS&Tがデビューし人気を集めたのも、そんなカウンターカルチャーの渦中であり、彼らはまさに「カウンターカルチャーの旗手」のような存在としても受け入れられていたのである。

またアメリカは、「米ソ冷戦において、アメリカが軍事化し冷酷な印象になっていくこと」を危惧していたそうだ。そこで国務省は、1954年から「他国の人にアメリカの芸術に触れてもらう」という国際文化交流プログラムを始めた。当初はクラシックがメインだったが、その後ジャズも組み込まれていく。そしてBS&Tは、当時誰もやっていなかった「ジャズとロックを融合させる」ことに成功したバンドであり、当時アメリカで大人気だったという事実も合わせ、彼らも「アメリカ文化に触れてもらう」という名目に合致すると見なされたのだろうと思う。

しかし、実はそれだけではなかった。BS&Tが東欧ツアーに”行かざるを得なかった”のには、もっと大きな理由が存在したのだ。

9人編成のバンドでボーカルを務めるデヴィッドはカナダ人で、アメリカのグリーンカードを取得していた。しかしある時、国が彼のグリーンカードを取り上げようとしたのだそうだ。カナダにいる時の犯罪歴などが問題視されたのだという。しかし、デヴィッドのグリーンカードが奪われたら、BS&Tは成り立たない。実はデヴィッドは、先程名前を出したアル・クーパーが抜けた後でオーディションによって選ばれた人物であり、彼の歌声を聴いた瞬間に、バンドメンバーが皆「こいつだ!」と言ったぐらい、バンドには欠かせない存在なのだ。アル・クーパーがいた頃に出したファーストアルバムは、そのクオリティの高さから称賛されたが、商業的には上手くいかなかった。しかしデヴィッドに変わってから出したセカンドアルバムは、当時のアルバムの販売記録を更新する凄まじい売上を記録したという。

つまりBS&Tは、なんとしてもデヴィッドのグリーンカード剥奪を阻止しなければならなかったのだ。実はこの事実こそ、当時口止めされていたものだった。この事実があったせいで、彼らは東欧ツアーに行かざるを得なくなったのだが、その説明はしてはいけないと言われていたため、世間的には「BS&Tが望んで東欧ツアーへ行った」ような印象になってしまい、それが帰国後、彼らを厳しい状況へと追い詰めることにもなった。

さて、ここで登場するのが、先述したマネージャーのラリー・ゴールドブラッドである。彼が何故マネージャーに就任したのかの説明は駆け足すぎてよく分からなかった、ある人物がバンドメンバーに「こいつをマネージャーに」と言った時、ラリーは刑務所にいた。しかし、とにかく才覚があったのだろう、BS&Tのマネージャーに収まり、そして彼はデヴィッドのグリーンカードを守るために国務省と取引をした。

それが東欧ツアーだったのだ。つまりBS&Tは「グリーンカードを剥奪されたデヴィッドを失って解散する」か「嫌だけど東欧ツアーへ行き、BS&Tを守るか」という2択を迫られていたのだ。こうして彼らは、東欧ツアーへと向かうことになったのだ。

さて、帰国後の記者会見の中で、記者から「共産主義国の独裁政治は、アメリカのプロパガンダでしたか?」と質問されていた。他にも色々と聞かれていたのだが、それらをメンバーの1人は「敵対的な質問」と表現していた。先の質問は、表面的には「『鉄のカーテン』の向こうでは本当に独裁政治なんて行われてるの? アメリカが冷戦を煽るために嘘ついてるだけじゃないの?」という意図が込められているのだが、さらに言えば、「国務省のお抱えで東欧に行ったあんたらは、アメリカの犬なんだろ? だから、本当は独裁政治なんてないのに『独裁政治が行われていた』と言ってるんだろ?」みたいな意図が含まれていたのだと思う。恐らくそれを捉えて「敵対的な質問」と表現していたのだろう。

まあそれはともかく、記者からそんな質問が出るぐらい、アメリカでは「鉄のカーテン」の向こう側のことはよく分かっていなかったと言っていいと思う。そして彼らは、そんな「『鉄のカーテン』の向こう側の現実」を見てしまったのである。

最初に訪れたユーゴスラビアは、大きな混乱はなかった。いや、観客が熱狂したり、そうかと思えばつまらなくて帰ったりみたいなことはあったが、2ヶ国目のルーマニアと比べれば大したことはない。

ルーマニアでのライブは、大いに盛り上がった。西側の文化がまず入ってこないルーマニアでは、あまりに画期的なイベントだったのだ。本作には、このライブを観に行った観客のインタビューも収録されているのだが、「単なるコンサートではなく、『国境の向こうの大いなる自由』を教えてくれた」「チェコのように解放される、このコンサートはそこへと向かっているという証なんだ、と思っていたが、そうではなかった」と、「単に音楽を聞きに行った」というのではない想いを抱く観客が多かったそうなのだ。

そして、盛り上がりすぎたが故に、問題が起こった。ルーマニアの時の政権が危険視したのだ。まあ、先の観客の証言を踏まえれば、政権の危惧もあながち間違っていなかったと言えるだろう。観客の盛り上がりは、もちろんBS&Tのライブが素晴らしかったことによるものだが、同時に、「ずっと抑圧されていて自身の感情を表に出せない」という日常に対する不満を爆発させたものでもあり、それが行き過ぎれば抑えきれない暴動のようなものに発展してしまう可能性もあっただろうと思う。

そのためルーマニアは、初日を終えたBS&Tに、「今後ライブを行う場合の条件」を提示した。「リズムを控えめに」「音量を下げろ」「服を脱がない」「長髪のスタッフはステージ下に」など色んな話がある中、「楽器を客席に投げない」というものがあった。これは、BS&Tの『微笑みの研究』という曲が関係している。この曲は、ドラを3回鳴らし、4回目のタイミングでドラを客席に投げ、それが落ちた音を合図に楽器の演奏が始まる、という始まり方をするのだ。それを止めろというわけだ。BS&Tは、とりあえずOKした。

しかし、ロックバンドである彼らが、そんな話を守るはずもない。彼らはやはり、ドラを客席に投げ捨てたのだ。しかし、それでもライブは中止にはされなかったようだ。それどころか、アンコールを求める客が帰らず、叫んだり歌ったりして興奮していた。そこで警察は、警察犬を客席に放ち、観客を帰らせようとしたというわけだ。

さて、この2度目のライブの様子は写真しか存在しない(映像の撮影は禁止というのもライブ継続の条件だった)のだが、東欧ツアーの様子は概ね映像に残っている。それは、「ドキュメンタリー映画の撮影隊」も同行していたからだ。ライブツアーは、国務省のスタッフも含めて57人だったそうだが、その中に撮影隊もいたというわけだ。そして、ルーマニアから3ヶ国目のポーランドへと移動する時に、また信じがたい出来事が起こる。

ルーマニアの空港スタッフは、撮影済みのフィルムをX線検査機に通せというのだ。もちろん、撮影したフィルムをダメにしようとしてのことだ。2日目の映像はないわけだが、初日も観客を抑え込むために警察が動いており、そういう様子が映っているとマズいと考えたわけだ。しかし実際には、ルーマニアで撮影した映像もきちんと残っている。一体どうなっているのか?

なんと、ライブが終わった後、彼らはフィルムをホテルではなくアメリカ大使館に持っていったというのだ。そしてそこで、「撮影済みのフィルム」と「未使用のフィルム」を入れ替え、空港には「未使用のフィルム」を持っていったのである。「撮影済みのフィルム」は大使館の冷蔵庫で保管し、その後回収したというから、本当にスパイ映画みたいな話である。ちなみに、ポーランドでのライブは大成功だったらしく、メンバーの1人は「素晴らしい観客だった」と語っていた。

しかし彼らは帰国後、先述した通り、「アメリカの犬」みたいな扱いをされてしまうことになる。「国務省の言いなりで東欧までライブに行ったダサい奴ら」みたいな感じなのだろう。メンバーの1人は、「政治的に批判される時は大体左派は右派のどちらかから攻撃を受けるものだが、僕らは両方からだった」みたいに話していた。ニクソン大統領への不満が高まっていたのだろうし、メンバーが帰国後の記者会見で「『国民』と『政府』の二項対立にしたがる」みたいなことを言っていたが、とにかくそういう状況だったんだろうなと思う。そんなわけで、彼らは「国の言いなりになった」ということであらゆる政治思想の持ち主から嫌われたという。ライブ中に馬糞が投げつけられたこともあったそうだ。

しかし、それはまだ仕方ないと言えるかもしれないが、決定的にダメだったのが、「カウンターカルチャー層からの支持を失ってしまったこと」である。「カウンターカルチャー」は「高級文化」に対するアンチテーゼなわけで、となれば、「国のお墨付きでライブに行く」などもっての外だろう。彼らは東欧ツアー以前に、ラスベガスのシーザーズパレスで行われたライブに出演した際にも同じようにカウンターカルチャー層からの支持を失った経験がある。だから、東欧ツアーに行くことで同じことが起こると理解できていただろう。それでも彼らは、デヴィッドのグリーンカードを守るために東欧ツアーに行くしかなかったわけだが、帰国後やはり、カウンターカルチャー層からの不支持を目の当たりにしたというわけだ。

こうして彼らは、一躍時の人となりながら、「冷戦」という、ロックバンドとは最もかけ離れているだろう時代背景に巻き込まれたために、その後長く活躍するはずだった時間を早々に失ってしまうことになったのである。メンバーの1人は、自身の身に起こったことを「フェアじゃない」「ハメられた」と話していたが、そう言いたくなるのも当然だと思う。「不運」という言葉では語れないが、実に不運だったと思う。

ちなみに、帰国後のコンサートの際に、アビー・ホフマンという人物がコンサート会場の前で「血と汗とデタラメ野郎」というビラを配っていたという話が出てきた。「アビー・ホフマン」という名前を聞いて、「映画『シカゴ7裁判』に出てきた気がする」と思ったのだが、調べてみるとやはりそうだった。彼は、自身の主張を広く伝えるためにBS&Tのライブが利用出来ると考えたのだそうだ。ちなみにある人物は、「アビーは写真の撮り方が分かっていた」「インスタグラムが出来る前に存在したインスタアーティストだ」みたいに表現していた。

また、本作にはBS&Tのドキュメンタリー映画のために東欧まで同行した監督も出演していたが、結局ドキュメンタリー映画はお蔵入りになってしまったと話していた。編集や上映には国務省の許可が必要で、その国務省は「アメリカ・東欧のどちらでも上映できる内容に」という指示を出したため、「そりゃあ無理だ」となったそうだ。まあ確かに、ドキュメンタリー映画としては、「東欧諸国が『出してほしくない』と感じる映像」にこそ価値があるわけだが、それが使えないのだから、監督が言うように、「単なる旅行記。しかもつまらない」みたいな内容になってしまうだろう。まあ、本作『ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?』でようやくその映像が日の目を見たわけで、それで良かったとするしかないだろう。

音楽のことはよく分からないが、彼らがこんな騒動に巻き込まれなければ、クイーンのように「今でも名前が残るミュージシャン」になれていたかもしれないわけで、本当に残酷だなと思うし、だからこそ、そんな彼らの数奇な人生を映し出した本作は面白いとも言える。

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長江貴士
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