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地方文学賞の賞金で文芸同人誌をつくる(第五回)

文学フリマ広島に出店しました なかむら あゆみ

 前回のエッセイから2か月が経ち、季節は春から初夏に移ろうとしています。毎年今ごろになると思い出すのが、庭に出て植物を観察する父の姿。何か発見するたび「ちょっと来てみ」と呼ばれ、一緒にカマキリの孵化や新芽や花芽の様子を眺めました。父はその間もナメクジを見つけると躊躇なく手に持った鎌ですり潰し、死骸を一か所に集め、共食いに来たナメクジをまた潰すのでした。ぱっぱ(煙草)を吸っている時でさえ鎌を操る手を止めることのない父の横顔とセブンスターの香り……。数十年経って、庭に大量発生したダンゴ虫を息子と一緒に集めている時、葉や根を食い荒らすナメクジを1匹残らず退治しようとしていた父の血が自分にも流れているなと感じます。
 10年ほど前から庭いじりが趣味になった私は、植物や生きものの動きが活発になる4月、5月を心待ちにするようになりましたが、昔はそうではありませんでした。理由は年度初めの環境の変化。対人、対物、新たなものに向かう時の緊張や不安、居心地の悪さ、全てが煩わしくストレスでした。自分に変化がない時でも、周囲の誰かがそれらで嫌な気持ちになっていると影響を受けます。それにしても、「初めましてよろしくお願いします」と新たな繋がりを良いものにしようと努力する人の行為を素直に受け入れず、意地悪までするおバカさんが性別年齢問わず一定数いますが、あれは一体どういう神経なのでしょう? 私も何度か経験しましたが、思い出すだけで、はらわたが煮えくりかえります。された側の記憶にはいつまでも「忘れられない恨み」として残ることをおバカさんたちはどうしてわからないのでしょうか? 気持ちのいい春の話題から書き始めたかったのですが、どんどんかけ離れていきます。このままでは春特有の更年期症状のつらさまでもここでぶちまけてしまいそうなので、改行して仕切り直しすることにします。
 さて、今回は文芸同人誌『巣』を持って、文学フリマ広島に出掛けたことを中心に書きますね。「地方文学賞の賞金で文芸同人誌をつくる」第5回、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

ずっと嫉妬してた

 若い頃から「芸術」とか「創作」に携わる人に憧れていて、いつか自分も何かをつくる人、表現する人になりたいと思っていました。実際には熱意も才能も足りず、舞踊、芝居、脚本、映画制作など、学生時代までにチャレンジした全ては中途半端で放り出すことに……。今にして思えば、創作を学ぶために通過せねばならない「自分と向き合う」ことや、鼻っ柱を折られることから逃げたのが原因ではないかと思うのです。つまり、できないくせに格好ばかり気にする当時の私には耐えられなかったということです。帰郷してからは創作から距離を置き、自分にできる仕事に精を出すことにしました。そのうちに結婚をし、子どもが生まれ、日常生活の忙しさで芸術の世界からはますます縁遠くなって、棚に仕舞った大事な本も映画のビデオもCDも創作ノートもすっかり埃が被っていたのでした。
 今回の文学フリマ出店のきっかけになった「クリエーターズマーケット」との出会いは、地元徳島のラジオ局でリポーターをしていた頃。出店されている人に話を訊こうと声を掛けると、手渡された名刺に「布作家・アーティスト」とありました。主婦業の傍ら、創作した作品を販売しているという話を聴いて、私の脳裏に渦巻いた感情は、憧れと尊敬、それから数パーセントの「いけすかない」気持ち(ごめんなさい)でした。雲の上の存在や才能には嫉妬しないのに、自分と同じような立場の人が「アーティスト」として活動しているのが気にいらなかったのでしょう。今なら解ります。忙しい生活の中でも創作する気持ちが消えることなく行動できる力こそが重要でその人の才能なのだということを……。やりたいのにできない自己嫌悪に陥るのが嫌で、「クリエーターズマーケット」や「手作りフリマ」などにはしばらく近づくことさえできませんでした。器が小さい人間を絵に描いたような私ならではの話です。
 あれから随分時が立ち、私も少しは変わりました。先日の文学フリマ広島に行った時には既存の名刺にしっかりと手書で「作家」と書き足して堂々と持っていきました。自分の肩書を誰かに気兼ねするなんて、それこそおバカさんですよね。それにしても手書きですよ。

マイブースは出展者の舞台

 前述のように「作家」「クリエーター」というものに恐ろしいほどの憧れを抱いていた私は、文芸同人誌『巣』を制作し始めた時から、刊行できた際にはZINEや自費出版本を売れる「フリーマーケット」や「クリエーターズマーケット」に出店して、作家然とブースに立つぞと心に決めていました。『巣』の刊行後に出店できる所を探していると、目についたのが「文学フリマ広島」でした。「文学フリマ」というもの自体、これまで馴染みがなかったので、イベントについて詳しく学んだ後、実際に参加したことのある友人に話を訊いたりして、不安症ですから決断するまで少し時間は掛かりましたが、申し込みする決意をしました。

 で……こうですよ。我ながら満足そうな「作家面」です。自分のブースが完成した時に、お隣りの好青年にお願いして撮っていただきました。写真を見るたびあの時の高揚した気持ちが蘇ります。この瞬間を迎えるまでに、初めての文フリ出店への準備に試行錯誤していたので喜びもひとしおでした。
 文学フリマ広島の基本スペースは長机半分(幅90cm)。限られた空間なので、どうやってレイアウトしようかと過去の文学フリマの会場写真などを参考にしながら考えました。出店のためにお金も掛かっているので(広島の場合1ブース4700円+交通費+本を会場へ送る費用)、作家としてイベントに参加できた喜びだけでなく、『巣』のことをアピールして、買ってもらいたい気持ちもありました。文学フリマの開催中、ぐるりと会場を見渡すと、自分たちのブースを発見してもらえるようにポスターを四方に貼ったり、立体的に美しく本を配置したり、声を掛けるきっかけづくりにチラシを配ったり、出店されている皆さんの創意工夫を感じました。文学フリマのブースは、自分たちで作った商品(本)を限られたスペースや時間の中でいかに魅力的に披露するか、各々が手間暇掛けて準備した舞台のようだと思ったのでした。

レイアウトに必要なモノは100円ショップで十分揃った。釣銭は十分揃えすぎた。

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