余白のない暮らし。
どこのバイト先へも片道1時間弱。ちょっとしたドライブである。『すっぴん!』時代から気象予報士の伊藤みゆきさんが好きなので、平日は『マイあさ!』を聴きながら通勤している。先日、サタデーエッセイのコーナーがアンコール放送され、俳優の片桐はいりさんが「家で映画を観なくなった理由」を話しているのが流れてきた。
片桐さんと言えば、今も変わらず映画館でもぎりをしていることが知られている。家でも配信などでガンガン映画を観ているのだと思っていたので、「家で観なくなった」という話には少々面食らった。しかし同時に、「そういえば自分も、映画を家であまり観ていないかも」と気づく。以前はレンタルしてよく観ていたし、少なくなったが「これ!」という映画は円盤を購入している。アマプラも契約しているのに、実際に家で映画鑑賞する時間はずいぶん減ってしまった。
片桐さんのラジオエッセイはこちら。明日の朝6時55分まで聴けます。
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彼女の話を聴いたら、胸にストンと落ちた。
ああ、そうだ、そうだ。
(以下、エッセイの内容を少し含みます)
「ウィズ インターネット」「ウィズ スマホ」の生活に慣れて失ったもの。それは「映画に没入し、余韻にひたる時間」。ことばは違うが、このような内容だった。
自分の日々を振り返ってみる。
気になるとすぐスマホで検索していたり、誰かのSNSを覗いていたり。脳は情報処理するだけで疲労困憊。分かっているのに止められない。しかも、今や自分で情報を取りにいくことは当たり前で、膨大な量の中から最有益なものを選ぶことは本当にくたびれる。
映画は100分~130分。その時間、物語に集中することが家では難しくなった。たとえ映画館で鑑賞しても、余韻にひたる時間はずいぶん少なくなったのではないか。以前は友達と映画を観に行った後、ランチしながら内容についてあーだこーだと盛り上がったが、今は映画館を出たらすぐにスマホの電源を入れて、仕事先や家族から連絡が来ていないかをチェック。ついでに世の中が今どうなっているかもチェック。その流れでランチに行っても、「映画の余韻を楽しむ」とまではいかない。便利になったぶん、いつもなんだか気ぜわしい。急かされて急かされて急かされる。
スマホやインターネットとの距離の置き方を学ばずに、自分で自分の首を絞めているだけといえばそうかもしれない。今は、とにもかくにも物事は“最短”でなければならない時代。そのためにインターネットやスマホは不可欠だ。昔実践していた「明日できることは今日やらない」なんてことは、現代社会では通用しなさそうである。実践したら、しばかれること間違いなし(見知らぬ誰かに)。
最近の物忘れのひどさの根源は、老いのほかに、上記のようなところにあるのだろう。先日も、朝食後に出かける準備をし、マスクをしようと洗面に立ったら何かが違う。
眉毛がなかった。
まさか、化粧を忘れるとは。
「ごはん食べた後歯を磨いて、化粧して、洗濯して、保冷バッグ持って、財布の中身を確認して買い出しにGO!!」
どうらやら、忘れないように出かけるまでのミッションを脳内で繰り返していたら、すでに脳では「化粧した」ことになっていて、すっ飛ばしたらしい。
余白のある暮らしって難しい。今、全然余白がない。自分に合ったウィズ インターネット、ウィズ スマホが見つかればいいのだけど。