好きな本草学者を語ろうとしたら、また不思議なことが起きた話/賀来飛霞について
きっかけは植物学者・牧野富太郎のコラボTシャツ
来春放送予定のNHK朝ドラ『らんまん』で神木くんが演じる主人公のモデルは、日本の植物学の父・牧野富太郎だ。
数日前、偶然自分のnoteのホームに、こんな記事が現われた。
フェリシモ「ミュージアム部™」。
フェリシモにこんな部門があったのか。
高知県立牧野植物園とファッションブランドIEDIT[イディット]のコラボによって、洋服を商品化。生誕160周年を迎えて、何かとにぎやかだ。コラボTシャツには、牧野富太郎が描いたヤマザクラとコウシンソウがそれぞれプリントされている。なにこれ! 完全に自分好みじゃないか。
「このTシャツ欲しい」という気持ちと一緒に、「ああ、私の好きな本草学者の写生図も、こんな風によみがえらないだろうか」という気持ちが芽生えた。
私の好きな本草学者・賀来飛霞とは
牧野富太郎の誕生より、遡ること四十数年。1816年、島原藩領国東郡高田村で産声をあげたのが本草学者の賀来飛霞だ。
え? 誰ですか?
そんな声が聞こえてくるのも仕方ない。が、ドラマ好きの人はもしかすると知って得する(いや、しない……)かもしれない。
賀来飛霞は、疫病の治療に尽力した医者の父を1歳の頃に亡くし、兄の佐之と共に、父の友人・帆足万里に医学と本草学を学びながら成長した。杵築潘の画人・十市石谷から写生画を習い、18歳で京都の本草学者・山本亡羊にも学んでいる。
その後は日本全国をまわって植物の現地調査を行い、資料として多くの写生図を残している。伊藤圭介、飯沼慾斎と並び、幕末の日本三大本草学者のひとりに数えられている。牧野富太郎ら近代日本の植物学者へ、バトンを渡したひとりと言っていいだろう。
江戸時代末期、民間で初めて反射炉を構えて大砲をつくった賀来惟熊とは、従兄弟にあたる。「賀来」といえば、俳優の賀来千香子さんや賀来賢人さんを思い浮かべる人が多いと思う。二人は、惟熊の直系の子孫になる。
一度見ただけで惹かれた飛霞の植物図
私が賀来飛霞を知ってから、わずか10年しか経っていない。帰省の際によく立ち寄る「大分県立歴史博物館」(古墳群の中にあり、昔は風土記の丘と呼ばれていた)で、初めて彼の描いた動植物の写生図を見て、たちまち虜になった。特に、根や実、葉脈まで緻密に写生された植物図は、美しさの中にも研究者としての鋭い視線が感じられるもので、素人の私でもしばし見惚れるほどだ。
一般人が知り得る飛霞に関する情報や、描いた写生図を目にする機会は多くない。ネット情報や少ない関連本を読んで「こういう人なのか」とか、博物館の解説で「そうだったのか!」とか。ドラマ脳なので、その人となりを知るたびに「いつか大河ドラマにならないだろうか。県をあげてPRしないのだろうか」「いや、せめて地域発の偉人シリーズドラマにならないだろうか」などと妄想して遊んでいる(そのとき、やはり母親役は賀来千香子さんになるのだろうか)。
文化遺産オンラインで「賀来飛霞」と検索すれば、いくつかの写生図を見ることができる。もう少し鮮明だといいのだけれど、興味のある方はぜひ。
実際の写生図を鑑賞できる機会はなかなかないので、博物館などの企画展をチェックしては訪れている。例えばシーボルトのように、描いたものが植物誌となり手にできるのならまだしも、そういった類のものがないので気軽に愛でられない。
植物図を愛でられる資料集と出合う
しかし、コ〇ナ禍に突入して3年目に入ろうかという頃、家で仕事をしながら、ふと飛霞のことが頭に浮かんだので検索してみた。すると、大分県立先哲史料館のHPに「大分先哲叢書」の刊行案内を発見。そこには、福沢諭吉や前野良沢、帆足万里などの資料集や評伝とともに、新刊として「賀来飛霞 資料集 図譜篇」の案内があった。刊行されたのは1年ほど前だ。
限定300冊、再版なし。1部5,200円。
私にとっては高価だったが、多くの飛霞の植物図をいつでも愛でられるではないか!
そんなわけで、この春、図譜篇を購入した。せっかくなので、公式のリンクを貼っておこう。
ここまで興奮気味に振り返っておきながら、絵画や植物学に関して専門的なことはまったくわからない。ただただ、あの写生図に見惚れてしまっただけで。でも「好き」ってそういうことだから、と思う。
唯一のグッズ(非売品)はいまだに使えない
牧野富太郎みたいなコラボTシャツはないけれど、今から6年前、飛霞の生誕200周年と大分県立歴史博物館の開館35周年を記念した企画展が催された際に、前売り券購入でもらえたクリアファイルは今も大事に取ってある。何度も使おうとしたが、「きれいなまま取っておこうよ!」ともうひとりの私が言うもんだから使えない。何しろグッズというグッズが、これと企画展の際のクイズでもらった缶バッジしかないもので。その年度には、博物館がつくったエコバックもあったらしい。それは全て、生誕200周年にあわせてのことだったのだろう。次はもう生誕250周年だろうな……(苦笑)。
最近、その企画展について学芸員の方が書いた冊子が、博物館の閲覧コーナーに1冊あることに気づいた。販売されていないのが残念だ。その冊子によると、賀来飛霞が現地調査をして写生図を描いたのは30歳頃まで。描かなくなったのは、視力の衰えを感じるようになったためと言われており、細やかな観察力で正確な動植物図を残してきた彼の写生へのこだわりを感じると、学芸員の方は述べている。
賀来飛霞と牧野富太郎の接点
本草学と共に医学も学んでいた賀来飛霞は、28歳で島原藩領宇佐郡佐田村に医業を開き、41歳のとき藩医に任命されている。62歳の頃に伊藤圭介に招かれ、東京大学小石川植物園の取調掛に就いている。70歳まで勤務し、伊藤圭介と共に植物図鑑「東京大学小石川植物園草木図説 巻一」を出版している。
小石川植物園で研究を重ねている間、東大の研究室に出入りしていた牧野富太郎とも接触しているのではないかと勝手に想像しているのだが、さてどうだろう。来春の朝ドラに登場する? しない? とても気になっている。
だって、宇佐市が編集した宇佐学マンガシリーズ「幕末の賀来一族 飛霞と惟熊」の巻末に、賀来飛霞を取り巻く人々として、「弟子」と書かれた枠の下に牧野富太郎の名前が記されているんだもの。飛霞の後輩の後輩、という意味なのだろうか。まあショックを受けない程度で、朝ドラに期待しておこう。
記事作成の最後に起きた不思議なできごと
数年前、遠い地にある小石川植物園を偶然訪れることになったとき、賀来飛霞とは不思議な縁があるなあと感じた。あのときは、まさか朝ドラで植物学者が取り上げられるなんて思っていなかった。
大分での彼の存在感はどうなのだろう。自分の周りで知っている人はいない。個人的には、関連するミュージアムや植物園があったらいいのにと願うほど、ずっと熱視線を送り続けている。それはこれからも変わらない。
ところで、金曜日に書いたものをリライトしたこの記事。実は今朝、家のポストを覗いたら、「賀来飛霞 資料集 図譜篇」を購入した大分県立先哲史料館から封書が届いていた。
えっ。
何、このタイミング。
こんなこと、ある!?
なんか呼ばれてる感じ。
ミゾミゾするんだけど。
先哲史料館と私の接点といったら、賀来飛霞しかない。すぐに封を開けて中身を確認したら、最新刊「賀来飛霞 資料集 採薬記篇」の案内だった。
1部7,900円。
これはしばらく悩みそう。
それにしてもこの封書が届いたタイミング、恐ろしすぎる。誰かわが家を覗いているのではないかしら。
ガンガン書いていたら、3000字以上になってしまった。まずい、こんなはずでは……。
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