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人は学ばないのか?ずしりと重い第10話/ドラマ『新宿野戦病院』

あんなに「どうにか生きていこう」と励まし合ったのも、喉元過ぎれば熱さを忘れる。もう誰も、店先でアルコール消毒しない。在宅ワークだって、一部を除いてどこへ行ったのか。ウイルスがなくなったわけじゃない。感染しても、「あとは己の力でどうにかしなさい」と言われているだけだ。

前回のラストで、「この物語って、疫病流行前の話だった?」と一瞬勘違い。まさかの未来の話だった。新たなウイルスの名は「ルミナ」。ルミネじゃないよ、ルミナだよ。コロナであんなにいろいろ学んだのに、劇中ではまたも同じことの繰り返し。そういえば、あの頃は県外ナンバーの車に生卵をぶつける人もいたよね。家族の住むまちで最初の感染者になった人は、あっという間に知れ渡って仕事を失い、まちを出て行った。感染した人はみんな謝りまくっていた。補助金、支援金をがっぽりいただいて儲かった人がたくさんいる一方で、本当に困っている人は取り残されていった。「頭が悪いからだ」「そもそも、その程度で困るなら最初からダメでしょ」と言われながら。

人間とは、そう簡単に変わるものではない。

「どんなときも、変態は元気!」(by堀井しのぶ)

そういうこと。え?違うの? 笑

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初回では、仕事したくないオーラを出しまくっていた聖まごころ病院の面々が、第10話では大奮闘。自宅に帰れないしのぶさんや横山の姿に、当時の閉ざされた世界と不安を思い出してつらくなる。そして啓三……。自分が感染源ではないかと悔やむ亨。謝る亨。「謝るな!」とブチ切れるヨウコ。惚れ惚れするほどかっこいいのは分かる。分かるけど、亨、あの行動は意味不明(笑)。無敵だからって、やっちゃだめでしょ。

命は平等。初回からずっとヨウコが訴えてきたことが、こんな形で証明される演出にドキリとする。ただ、パンデミックの場合、医療従事者はこの“平等”に入っていない……。感染リスクを負いながら、患者を救おうとする人たちには感謝しかない。今だって、どこかで重症患者を助けようとしているのだ。

クドカンには、コロナに対する特別な感情があるのだと思う。と言っても、「俺はこう思う!どうだーーー!!」と、上から目線で書かないのがクドカンらしい。笑いを交えながら書くのは、彼のやさしさと照れ隠しなんじゃないだろうか。クドカンが感染したのは、志村けんさんが亡くなった直後。日本中が、「あの志村けんの命を奪ったおそろしいウイルス」という認識に切り替わったころだった。わたし、本気で何度も「お願いだから、クドカン死なないでくれ」と祈ったもの。

この先、新たなウイルスが発見されることもあるだろう。「どうにか生きてこられたんだから」という自信が少しはあったはずなのに、ドラマで未来を想像したら「またあんな思いをするのか」と苦しくなる。何も学んでいないのか、私は。

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「人間の言うことは聞かないのに、ウイルスの言うことは聞くのかよ!」

舞の叫びはむなしかった。人がどんなに注意しても居座ったパパ活女子たちが、ウイルスへの恐怖から誰ひとり居なくなった。舞は、NPOの活動ができなくなったことが悔しいのではなく、今まで必死に取り組んでいたことが意味の無いことなんだと思えてきて、悔しくてむなしいのだ。いや、本当は喜ぶべきなのか? でも、自分のやってきたことは一体何だったのか。去っていく後ろ姿を見て、とても心配になった。少しだけユイちゃんと重なる。岡本、ちゃんと見てなさいよ、岡本(泣)。

次回はいよいよ最終回。予告を観ると、ヨウコの無免許時代が暴かれるのではないかと、もんげー不安……。まさかと思うが、寅ちゃん出たりしないよね?  虎つばからの転生率が高過ぎるこのドラマ。でも、どうやらキャスティングは偶然らしい(塚っちゃんのつぶやきより)。

どうか最後は、いつもの聖まごころ病院に戻っていてほしい。だって「どんなときも、変態は元気!」(by堀井しのぶ・2回目)なんでしょ!!


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ぶんぶんどー
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