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白と黒のオダギリジョーに涙が出たり引っ込んだりした『大豆田とわ子と三人の元夫』第7話

あれから1年後。『大豆田とわ子と三人の元夫』第7話は、淡々と過ぎていくとわ子の日常からスタートした。

(以下、ドラマの内容を含みます)


フルーツサンドを食べようとする松たか子を、「コラボCMかな」と思いながら眺めるぶんぶんどー。

ところがそれはすでにドラマ本編で、「ヤ○ザキのCMじゃなかった!」と慌てふためくぶんぶんどー。

映えるフルーツサンド、「食べにくいの分かるよ」と頷くぶんぶんどー。

「オダギリジョーに遭遇するラジオ体操、どこですか!?」と、羨望の眼差しで大豆田とわ子を見つめるぶんぶんどー。

「パンダより可愛いシンシン(慎森)、どこですか!?」と、これまた羨望の眼差しで大豆田とわ子を見つめるぶんぶんどー。

「鹿太郎って名前、肩ロースからきてるの?」と、困惑気味なぶんぶんどー。

「元気?」「ごめんね」で察する元夫婦に、ちょっとだけ憧れるぶんぶんどー。

「小鳥遊」と書いて「たかなし」と読む由来を、つい友達に自慢してしまったぶんぶんどー。


以上、“なんちゃって大豆田とわ子ごっこ”、じゃなかった、“なんちゃって伊藤沙莉ごっこ”でした。

ふざけてごめんなさい。

***

みんなの健康をしきりに気遣うとわ子が切ない。身近にいる大事な人を失った直後は、実感がわかないまま忙しく葬儀を執り行い、雑務で時間が過ぎていく。それからじわじわ喪失感に覆われるけど、その気持ちを分かち合える人がいるのといないのとでは日常は随分違う。好きな人とのあまりにも突然の別れに、とわ子は胸の内を誰にも吐露せずに1年を過ごしてしまった。

そんな第7話でもっとも動揺したのは、オダジョー演じる謎の男(小鳥遊)のことばと、終盤の登場の仕方。私は普通の人を演じるオダジョーがとても好きなので、今回とわ子がラジオ体操で遭遇する男を嬉々として見つめていた。それが、彼女の会社を買収する側の人間だったとは。にもかかわらず、再びのラジオ体操で平然と話しかけてくる小鳥遊。右手に左脳、左手に右脳を持って操ってそうな小鳥遊。彼すなわちオダギリジョーは、これまでの物語の流れを一変させる存在だ。

大豆田とわ子が引き寄せる男は、どうしてこんなにクセが強いのか。

でも、いつも面倒くさい中村慎森が7話で見せたやさしさと素直さは、いじらしく。演じているのが岡田くんだからという贔屓目もあるけれど、やっぱりシンシンが一番だよ! 私の脳内「まめ夫ダービー」ではシンシンが断トツ1位なのだ。

一方で、「過去とか未来とか、どっかの誰かが決めたこと。時間って過ぎていくものではなく、場所というか別のところにあるもの。亡くなった人を不幸だと思ってはいけない」という小鳥遊のことばに、涙が溢れた。

そんな捉え方があったのか。

家族の死をはじめ、ここ数年の間に起きたさまざまな別れが頭をよぎる。ただの慰めじゃないことばに救われる。

こんなことばを発する男がいたら(しかも顔がオダジョー)気になるし、とわ子が彼とまた楽しく過ごしたいと思うのは分かる。たとえ自分の会社が乗っ取られても。

いや、どうかな。あまりにもビジネスとプライベートを切り離す小鳥遊に、私の頭はついていけずじまい。ホラーになりそうだったので、必死に30分前のふわっとした時間まで気持ちを巻き戻す。しかしまたきゅるきゅると早送りされて、エンディングのオダジョーのこわくて穏やかな顔がアップで戻ってくるのだった。

普通の人を演じるオダギリジョーが好きなのに、えーーー。

分かってる。このドラマが坂元裕二さんの脚本であることを忘れていた自分が悪い。悪いんだ。個人的に落ち込みながらも、それでも続きが観たい。


ところで、こんなにオダジョー、オダジョー! と騒いでいるのに今さらだけど、斎藤工さんは、あのクヒオコスプレでのワンシーンでしか登場しないのだろうか……。回を重ねるたびに、チラチラと思い浮かびます。



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ぶんぶんどー
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