日本文学の最高傑作
とは何か?
これは人によって変わると思うので、明確な答えはないと思われる。
然し、川端康成は、『源氏物語』こそが至高であり、日本文学は源氏に始まり、源氏に終わる、と述べている。
まぁ、これは川端のおっさんの勝手な所感なので、真に受ける必要性もないが、誰か人に尋ねられたときには、「そうだなぁ。やっぱ日本の文学って、結局源氏に始まり、源氏に終わると思うんだよネ。」
と言っておけば、大抵の人には、なんかすごいこと言ってる感が与えられるのでおすすめである。
『源氏物語』は汎ゆる文化に入り込んでいるほどの作品で、様々な作家が俺流に訳したがる紫式部の作品である。
谷崎潤一郎は、『谷崎源氏』なる現代日本語訳を施して、大層売れたそうである。
鏑木清方が書いた、谷崎源氏を読むご婦人の絵があるほど、源氏を読むのはステータスだったのである。
『源氏物語』は54帖からなる物語で、これを訳して出版するのは、小説家にとっては、成功のステータスみたいなものである。
谷崎は3回くらい現代日本語訳をしているので、量が多いため、わけがわからない。けれども、『細雪』などに至る谷崎世界には、その色が濃厚に反映されているのだろう。
ちなみに、桐箱に収められた特別版もあって、いい感じ。
そして、谷崎の助手で翻訳を手伝っていた、伊吹和子の著作『われよりほかに』において、川端康成もまた、『源氏物語』の現代日本語訳を企てていたことが記されていた。
川端は伊吹を尋ねて、「実は僕も源氏をやろうと思いましてね……。ほら、もう少し書き始めてるんですよ。あなたにも手伝ってもらえたら嬉しいな。」
的な感じで、敵陣へと乗り込み、少しとは言いながら結構書いた内容を見せてきたのである。
結局川端は源氏の日本語訳は実現していないが、意外にも『竹取物語』や『とりかへばや物語』の現代日本語訳は物にしている。
これは全集でも読める。
川端は、実は戦中戦後に、江戸時代に刊行された『源氏物語湖月抄』を精読していて、体に染み込ませていたのである。そして、これをベースに、俺的源氏を書く予定だったのだが、飽きっぽいから諦めたのかもしれない。
『古都』なんかも、物凄く京都弁の修正が入ったらしく、本人的には大量の修正が入るであろう作品を書くのが嫌だったのかもしれない。
然し、恐らくは川端が書いていたら、恐ろしいほどに美しい作品になっていたのではないかと思われる。
源氏物語は日本人を魅了して止まない。
俺的私的源氏を現代日本語訳することは、最高のステータスである。
だから、人に聞かれたら、「いやぁ、ゆくゆくは、源氏を現代日本語訳したいんだよね。スマホとか出したりしてさ。」
と言っておけば、一目置かれること間違い無しである。