地獄の横丁
探偵小説の古書を集めているコレクターも多いが、文学オンリーの人種とはまた種類が異なる。
どちらにせよ、蒐めることは楽しいことだが、先日亡くなられた西村賢太さんは、自身の小説の中で、自分を仮託した北町貫多を通して、彼が如何に小説狂いであるかを書いていた。
文学系統よりも小説、探偵小説や推理小説が好きで、古書店で均一台のゾッキ本を購入し、読み耽る所などは彼の筆致も相まって、楽しいシーンであるが、そこで書かれるのは基本的にエンターテイメントである推理、探偵ものばかりだ。
文学といえば私小説で、彼は初めは太宰治の弟子筋の田中英光の本に衝撃を受けて、英光狂いになり、彼の研究をしながらも古書や資料を蒐めて、親族ともお近づきになる。が、その仲が破綻し、彼は英光関連の資料の類を一括文学館に800万円という大金で売り捌く。その後は藤澤清造狂いになって、また大量の古書や資料を買い蒐めるのだが、こういう、一人の作家に傾倒し、その人の作品群などを蒐めるのは特に男性に多い気質だろう。
その彼の書簡が86万円で販売されていて、日付を見ると1984年とあった。西村賢太が16歳の手紙だが、宛名は渡邉啓助である。渡邉は推理小説家である。私は彼の作品は読んだことはないが、吉田貫三郎が装丁を手掛けている地獄横丁の初版本が大変に美しい(禍々しい)ので、心に留めていた。ちなみにお値段は35万円ほどするので、まぁ手が出ないわけだが、この怪奇小説家に対してのファンレターを出した、ということだろうか。
封筒には丁寧な字で、渡邉啓助先生、と書いてある。
私も、大好きな漫画家さんにファンレターを書いたことがある。某有名漫画家さんで、ありがたいことに、何度もお返事をくれたのである。
これには誠に感激した。素晴らしい作品を描かれる方で、私の宝物である。
大変お忙しいと思われるのに、何度も何度も書いてくれたのである。
ファンレターとは純粋な思いで、ある種、神様へのラブレターであるが、渡邉啓助もまた、西村賢太にとっては重要な作家だったのだろうか。
彼の傾倒癖、収集癖の萌芽が、もう16歳の頃から芽生えているようでならない。
渡邉啓助には弟がいて、彼の名前は渡邉温という。列車に轢かれて死んでしまった作家である。新青年の編集としても、谷崎潤一郎へ依頼に行っていて、彼が死んだ後に、谷崎は新青年にて『武州公秘話』の連載を始めた。
渡邉温さんに関しては、以前、noteでも書かせて頂いたが、不思議な味わいの作品を書く作家さんである。
世間は狭い、と言われるが、小説の世界も広いようで狭い。
誰しもが影響を与えあっていて、その一端を識ると、みるみるとその世界が立体を帯びてくる。
そうして、隔絶されているかのような作家たちもまた、すぐそこで息をしている、或いはしていたのだと、わかるようになる。
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