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私にスペイン語がなかったら

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さて。

昨日、いじめられっ子だったけど日本語を味方につけて自分の世界を切り開いていった教え子のL君の話を書きました。

これまでも、仕事で日本に来たから日本語を始めてみたら、日本も日本語も面白くて住みついてしまった人や、日本語で人生がいい意味で一変した!と豪語する人にも出会いました。

逆に、私もスペイン語を始めて人生が変わった一人です。

私がスペイン語を学ぶきっかけになったのは、別にスペインに興味があったとか、サッカーが好きとか、フラメンコが好きとかそんな純粋な気持ちではありません。

実はとても不純な動機です。

というのも、高校三年生の秋までは私、大学で英語を極める気満々でした。

もともと国際的な仕事には興味があって、そのためには英語を極めなきゃと思っていました。だから高校時代は英会話も習わせてもらったし、選択科目もすべて英語にしてた。ただ、つぶしが効かなくなったらいやだという理由で国際科などではなく普通科にいました。

しかし、その受験の時、まず一回目、公募制推薦で全滅。指定校推薦も終わってる。うちの経済状況で浪人はまず無理。いや、ぜーーーーーーーーったい無理!国立に行ければいいけどそんな頭あるわけない(病的に理数ができません)。

どうする?このまま無茶を承知で一般入試も同じところリベンジ?いや、リスク高すぎ。そもそも私が選んだ志望校のいくつかはこの公募制推薦で入学者の9割を取ってしまい、それ以降のセンター利用入試や一般入試で合格者を出すのは1割未満と言われていました。

ただでさえ倍率高い英語系学科無理じゃね?ということで当時の担任(あだ名はモジャ、またはリンカーン)にとりあえず相談。

「そもそも英語はできる人世の中にいっぱいおるけど、その他の言語はできる人そうそういないからそっちの方が将来的にはありがたがられるかもよ?しかも英語は学校の外でも勉強するところいっぱいあるし。僕の奥さんもドイツ語やっててねぇ。。云々」

と言われて、あ、なーるほど。一理ある。というか受かればどこでもいいわが本音でした。三者面談だったので隣で聞いていた母も先生の意見に賛成。

「じゃあ、先生、滑り止めは使われている国が多い(って社会科で習った)スペイン語にします。」

「うん、いいんじゃない?」

で志望学科変更。この時確か11月か12月。

二月、スペイン語学科で挑戦。晴れて合格!(ちょっと名残惜しく、第一志望の学校は英語系の学科にしてましたが、そこはあっけなく散りました)

そして四月からまーーーーったく知らないスペイン語の世界に足を踏み入れました。

私の学年とこのスペイン語学科が割と異例だったのか、なんとクラスメイトの9割が帰国子女。大体みんな英語はもうできるからもう一つやりに来た、という感じの子ばかりでした。中には高校の間にスペイン語圏に留学していて、大学で極めようと思ったとかもいて、、まあ、あれですよね。

すっごい置いてけぼり感。

この時まだ外国なんて行ったことないしー。高校も英語頑張ったけど所詮普通科だしー。

ということで死ぬ気でやらないともともと違うスタート地点からさらにアッという間に落ちこぼれ組にGO!

4年間、冗談抜いて必死でした。

学校は往復3時間で遠いし、バイトはあるし、語学系は一教科当たりでもらえる単位数が少ないので授業はいっぱいあるし、その上忘れないために毎時間小テストあるし、教職取りたいからさらに授業は増えるし、先生はスペイン語を英語で説明する人もいるし。後から聞いたけどうちの学校は入学は簡単でも卒業が命がけだっていうし(マジで命がけでした。日本の大学が暇っていうのは嘘です)

そんな環境だったので、成績は決してここでも上位ではありませんでしたが、4年間で必要最低限のことは叩き込まれました。

私はゼミも「学科一厳しい」というところに入ったので(時間割の関係上そこしかなかった。笑)、スペイン語圏全般の理解も深められました。その教授は「スペイン語学科たるもの、卒論のせめて序論ぐらいはスペイン語で書きなさい」という方だったので、論文らしいスペイン語の書き方の基礎も叩き込まれました。教授は厳しかったですがすごく情熱的で温かい心を持った方で、卒業から〇年経つ今も頻繁に連絡をくださいます。しかも何十人もいるであろうゼミ生のほとんどの顔を覚えていてくださるという超人。ある意味、スペイン語学科に入っていなかったらこの教授のもとで教わることもなかったし、卒業してからも学校を懐かしむことなんてなかっただろうから、それもスペイン語始めてよかったことの一つかもしれません。

そして、晴れて卒業。

この時、日本国内だけじゃなく、スペイン語圏も視野に入れて就職活動ができたのは大きな収穫でしたし、実際「スペイン語学科卒業だから」という理由でメキシコの日本語学校は採用されました。スペインも大学の学科長発このゼミの教授経由で私にお話が来ました。「あなたほどの適任者いないからいってらっしゃい」と。光栄だし、普通、ただの学部卒がヨーロッパの大学で授業させてもらえる機会なんてまずありえないので、断ったらバチが当たる。どちらの国の人も「英語じゃなくて、スペイン語を話す日本人なんてうれしい!」とスーパーウェルカムに受け入れてくれました。日本人も日本語を話す外国人に会うとうれしいもんね。あと、日本人大好きなラテン人から人生で味わったことがないほどモテたのもいい思い出です。笑

今の日本語学校は、養成講座で知り合った方の紹介で入りましたが、その方も推薦してくださるときに「スペイン語ができる人だよ。メキシコとスペインにも行ってたから海外事情も知ってるよ」と話してくださり、その経歴を校長が「面白い」と買ってくださって採用されました。

こう考えると、私の人生もスペイン語によって大きく導かれてきたんだなあと思います。最初に触れてから10数年、まだまだ下手、というか上達ではなく下達する一方だけど、興味が尽きない。おもしろい。

英語は話せた方が絶対いい。これは間違いない。これだけ世界に浸透している言葉はない。私も話せるもんなら話したい。でも、もう一つの扉を知ったら自分の世界も広がる。

他にも、イタリアに行ったときにイタリア語はわからないけどなんとなくイタリア人と会話ができたり、マカオはポルトガル語と英語と中国語の表記があったのでそのすべてを総合すれば何か意味が分かったり、フィリピン人の学生と単語同士では会話がなんとなくできたり(タガログ語にはかなりスペイン語の語彙が入っています)、競馬の番組を見ていて(趣味ではありません)競走馬の名前の意味が分かったり。笑 

損したことと言えば、現地で向こうの人はわからないだろうと思ってこっちに差別的な言葉をつぶやいていたこともわかってしまったことですかね。これは無視するのがほとんどですが、一回だけしつこかったので「私がアジア人であんたに迷惑かけたのか?あ?文句を言うならその首から下げてるNikonのカメラ捨ててから言え!それは日本のメーカーだ!」と吐き捨てて去りました。

でもほかに損したことはないです。

話がそれました。ここまでだーーっとあまり読み返さずに書いてしまったのですが、ふと思う。

もし私がスペイン語と出会ってなかったらどんな人生を歩んでいたんだろう?

スペイン語学科じゃなくて、フランス語学科だったらどうなってた?

その前に語学はあきらめて社会学部とか経済学部に行ってたら?

多分それはそれで楽しく過ごしていただろうし、何ならもっとお金稼いでいたかもしれないけど、それでもやっぱりスペイン語を始めて後悔したことや、辞めようと思ったことはないです。

こう考えると人生って何があるかわからないから面白いなぁ。

昨日のLくんのように武器にはまだなってないけど、私にとってスペイン語はちょっとしたチャームポイントのようなものにはなってくれました。

コロナが終わって、世界がまた自由に行き来できるようになったら、スペイン語圏全制覇の旅を生涯かけてやってみたい。

とりあえず、明日朝からメキシコ人の方と初めてのオンラインレッスンをやってみます。久々にスペイン語を使って日本語の授業。どうなることやら~??


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