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エッセイ

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 ウエハース地獄 ~クリスマスの思い出~

 クリスマスと言えば、両親から「サンタさんはいません」宣告をされた翌年のクリスマス。それでもプレゼントは買ってくれるらしく、オカンに何が欲しいかと聞かれ、 「ビックリマンチョコ箱買い」 と即答した僕。  ちなみに当時小学生の僕は、チョコレート等の甘いお菓子があまり好きではなく、さらにウエハースのあの口内の水分をすべて持っていかれる感じも得意ではなかった。プロ野球チップスはカードもポテトチップスもどちらも楽しみにしていたけれど、ビックリマンチョコはシールが目的でウエハース

京都っていいよね・・・vol.3【学生時代の壮絶エピソード】

 京都の大学に通っていた頃に僕が住んでいたのは学生専用のオートロックマンションで、オートロックというと聞こえはいいが、正面玄関、いわゆるエントランス以外なら低い塀を乗り越えてどこからでも入ることができて、ほぼ防犯の意味はなかった。まぁそれはいいとして、間取りは7畳の1kユニットバス。時代は既に高校生や大学生が携帯電話を持ちはじめた頃頃だったが、部屋にはホテルにあるような備え付けの固定電話がついていて、一般回線の他に各号室ともやり取りができるようになっているのだけれど、使うこと

京都っていいよね・・・。vol.2【学生時代の壮絶エピソード】

 さて、前回に引き続き京都の話。前回も書いたが、僕はちょいちょい近くの商店街で歌っていて、その日もいつものように歌っていた。1時間くらい歌ってからだろうか、僕はその日家で聞いていた斉藤和義の「僕の見たビートルズはTVの中」という曲をなんとなく歌ってみたくなり、その曲を歌い始めたことが悪夢への出発点となってしまった。   なんだか今日はガラの悪そうなひとが多いなぁと少し思っていたが、その街の治安は僕には関係が無いことなので、特に気にすることも無く曲は進む。   その歌にはこんな

京都っていいよね・・・。【学生時代の壮絶エピソード】

 僕は、高校を卒業してから京都の大学に1年だけ通っていて、そのときは京都市の南、宇治市の小倉という地域に住んでいた。駅前には国道24号線が走っていて、スーパーとレンタルビデオ店と居酒屋とマクドナルドと無印と他数店が入った駅ビルとも言いがたい建築物が建っていた。京都といってもその周辺には平等院鳳凰堂があるだけで、他は京都らしいものはそれほど多くなかったような気がする。  僕は適当に選んだその大学に行くのがイヤになって、夏休みが終わってからは学校に行かなくなってしまっていた。  

金欠というカテゴライズ

 いつもそうなのだけれど、やりたいことが多くて何からどう手をつけていいかわからなくなって、結局ゲームやっちゃうって流れが慣例化されていて、気がつくと何もせずに時間だけが過ぎてゆくという毎日を送っている今日この頃ですが、どうも僕です。  やりたいことをやろうとすると、どうしても金銭的な面で壁にぶつかる場合が多く、金銭的な負担をしてでもやりたいことをやっていると仕事をしなくなるので(僕の場合)、強烈に金欠になり、他のやりたい事ができなくなる。  突然脈絡なく話は逸れるが、今、

金木犀のかほり

 仕事の帰り、外に出たら金木犀の香りがした。  僕は19歳になるまで金木犀の香りを嗅いだことがなかった。19の秋、一人暮らしをしていた京都のアパートの周りで初めて金木犀の香りを嗅いだ。金木犀の香りなど知らない僕は、てっきりどこかの家でトイレの改装工事でもしているんだと思っていた。金木犀を知らない僕にとってあの香りはトイレの芳香剤のイメージしかない。  いつになってもトイレのリフォームが終わらないので、これはおかしいと思って友人に聞くと、「それは金木犀の香りだ」と教えてくれた