京都っていいよね・・・。【学生時代の壮絶エピソード】
僕は、高校を卒業してから京都の大学に1年だけ通っていて、そのときは京都市の南、宇治市の小倉という地域に住んでいた。駅前には国道24号線が走っていて、スーパーとレンタルビデオ店と居酒屋とマクドナルドと無印と他数店が入った駅ビルとも言いがたい建築物が建っていた。京都といってもその周辺には平等院鳳凰堂があるだけで、他は京都らしいものはそれほど多くなかったような気がする。
僕は適当に選んだその大学に行くのがイヤになって、夏休みが終わってからは学校に行かなくなってしまっていた。
おそらくこの頃から人生が狂い出したのだと思うが、数ヶ月のうちに色々なことが起こった。
毎日学校にも行かず何をしていたかというと、これといって何をしていたというほど鮮明な記憶は少なくて、とにかく何もしていなかった。50ccの原付で伊勢湾まで財布も持たずに行ってみたり(帰りにガス欠で大変なことになった)、近鉄京都線の桃山御陵駅の商店街で路上ライブの真似事をしてみたり、気が狂ったように変なパーマをかけ続けたりしていただけなのだけれど、そんななんにもない生活に変化があったのは多分10月位のことだと思う。
ある日、大学の友人数人と僕のアパートで大量に酒を飲んだ後、勢いで平等院鳳凰堂に行くことになり、僕は当たり前のように原付に跨った。平等院で一騒ぎして家に帰る途中、僕はまたもや当然のように歩道を原付で走っていた。知らずのうちに宇治警察署の真ん前の道をその状態で走っているものだから、待ってましたとばかりにパトカーが近付き止まるように促されたが、つまらない日々の嫌気に酔いが後押しして、僕は逃げるという選択肢をとった。カーチェイスの時間はわずか3分。あえなく僕は京阪宇治駅のロータリーでお縄になり、警察に連行された。警察署の中で散々怒られ、酒気帯び、歩道通行、信号無視、一方通行無視、スピード違反、公務執行妨害(逃げたから)と、違反のオンパレードになって、初心者バリバリのグリーンラベルドライバーで3点しか持ち点がないのに、11点引かれた。おそらくもっと引かれるところなのだろうが、温情判決で11点、すなわちギリギリ30日免停で済むようにしてくれた。
この災難があったのが深夜の2時くらいで、夜が明けて昼過ぎに気分転換に髪でも切りに行こうと思い、原付で何気なく入った道が進入禁止道路…。折も悪くそこには警察がいて、免停は60日になってしまった。
その後も悪いことはよくもまあ続くもので、2、3日後、深夜に牛丼を食べにいった帰りに4、5人の集団にいきなり後ろから金属バットで殴打されてそのままタコ殴りに。誰かの通報で警察が来て、また宇治警察署に連れて行かれた僕に、警察が「あれ?君この間も来たよね?あはははは」と呆れられる始末。
京都にはいい思い出がほとんど無い。その後1週間腕が上がらず、背中には昇り龍の刺青のようなアザが金属バットによって作られた。原付は3回盗まれた。
それにしても、あの金属バットの集団は誰だったんだろう…。