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私の英語との闘いの歴史

私の英語との闘いの歴史


まずは中学一年生の時。一番最初の授業のことです。その女教師は入るなりいきなり英語で自己紹介をし、それから自分の読んだ英語教科書の和約を あてる のでした。クラスメートたちは、何故か簡単に答えてるのです。


昔・むかーしのお話です当時の中学校は、机は二人用でした。そして隣には男子が座っています。私も当然 あて られました。英語なんて教わったこと無いし、突然指されてわるはずない。するとその先生は、私だけではなく隣の男子(彼もわかんなかったのね)の二人とも授業が終わるまで立たせるのです。


ディスイズアペン 頃です。マイネームイズ・・・の一年生。塾に行っていなかったばかりに(勉強する気がなかった。バイトして、バイト代でラーメン食べて喜んでました)これは困りました。隣の男子は私の指される時はいつも立たされて、いつも気の毒に思いました。


何とかしなくては、13歳の女子は本当に困りました。英語の次女を見ても、辞書の引き方が全くわからない。発音なんてちんぷんかんぷん。しかしこのままでは、私も、隣の男子も間違いなくずっと立たされる・・。(しかし何故か塾に行こうと言う発想は無かった)


そして思いついたのは、隣町にある米軍基地、その周りには米兵家族が沢山住んでいるということです。そうだ、彼女達に教えてもらおう、と思いました。女子の友達を誘って隣町に出かけたのです。青い目のアメリカ女性達がた草にました。ご主人は日中は基地内での仕事なので、基地まわりの住宅には奥様方が沢山いました。そこで英語を教えて、とか簡単な英語で話すと、すべての女性達は喜んで中に入れてくれました。ドキドキの心臓も、ケーキを頂いたりして、静かになりました。


このようなことを繰り返し、自分が知ったのは英語と言う単語の知識よりも、話す楽しさ。会話の楽しさだったのだと思います。NHKの初級英語を見たりして、やっと鬼のような先生に指されても、立たされなくなりました。


それから10年以上たったある日。通信教育やらなにやら、結構頑張ったと思うのですが、以前中々上達せず、いつまでたっても簡単な日常会話どまり。何故なのかなぁ?当時インドにはサイババと言うグルがいました。私は彼の信者ではないのですが、あの頃はある悩みがあって藁をもつかむ思いで渡印しました。そこのアシュラム(簡易宿泊所)内で、金髪・青い目の欧州系女性に簡単な英語で挨拶したのですが、アイキャンノットスピークイングリッシュ と言われました。そうか、英語が万能で誰とでも話せる訳じゃないんだ!と思いました。上達しない言い訳でしょうか、いつかきっと、ドラえもんの翻訳コンニャクみたいのが出来てくる。そうなったら何か国語でも翻訳コンニャクのお陰で通じるようになる、そう思うようになてって、帰国以降はほとんど勉強を投げてしまいました・・・。


しかし、読みだけは当たりました。今の時代、本当にドラえもんのコンニャクアイテムが実現しつつあると感じます。英語はいまだに簡単な日常会話どまり・・・、それでもいつか外国に行くときは、AIという頭のいい友人に同行してもらいましょう。ずっと楽に沢山の人達とつながることが出来るように。

蒸留水を使ったデトックス方

蒸留水とランドン博士←98歳で50代の若さだったランドン博士。(1945年没)博士はデトックスとして蒸留水を使いました。貴重な博士の本を販売しています。(自分で訳しました)

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