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自分が消えゆく恐怖

 皆様、ご無沙汰しております。
今日は、自分の中で少し大事な、節目のような日であったような気がするので、ここに日記を残しておきたいと思います。

二千二十四年、九月十九日

今日は心療内科の、二週に一度の定期通院の日であった。

朝起きて顔を洗い、鏡を覗き込むと、そこにいるはずの「私」は、どこかへ行ってしまったようだった。いつもと変わらず同じ顔、同じ目、同じ口元。しかし、奥にあるはずの何かが、霧のように消え去っている。私は私ではない。その奇妙な感覚を消化できぬまま、私は病院へと赴いた。

三十分の問診を終え、医師は私に、「前回よりも、かなり悪化している。薬を変えなければならない。」と告げた。特に、意外ということもなく、概ね私の予想していた通りであった。原因は、人間関係のトラブル、学会の準備、修士論文の執筆など、思い当たる節を挙げればキリがないが、ともかく自身の状態が、悪化の一途を辿っていることは、大いに感じていた。

その後、十五分ほど薬や病状、今後の治療方針について話があり、診察は終了した。前回よりも、三項目追加された処方箋を見て、私はなんだか突然怖くなった。

「このままでいいのか?」誰かが私の耳の奥で囁く。「薬が全部解決してくれるんだろ?」こだまするように、私の中に響き渡る。焦りと不安、そして大きな恐怖が襲ってくる。この恐怖は、かつての鬱の恐怖とは、全くの別物である。鬱という病は、私を押しつぶすような、そういった類の苦痛であったが、今の恐怖は、自分の中の何かが、気付かぬうちに、徐々に消えていくような感覚なのだ。

怖い、怖くてたまらない。

鬱病の治療を始めた当初は、大きな安堵感に包まれていた。ようやく、この重い鎖から解放される時が来たと、思っていた。医師は薬を処方し、きっと良くなると、私を励ました。少しづつ、笑うことができるようになり、深い悲しみに沈むことも減った。しかし、その代償として私は、何か大切なものを、置き去りにしてしまったような、そんな気がしていた。

かつて、靄に覆われた日々の中で感じていた、漠然とした痛みと引き換えに私は、擬似的な日常を手に入れた。しかし、その平穏の中に、以前の私はもういない。

怖い。激しい動悸がする。
私は近くのトイレへ駆け込み、朝に飲んだ珈琲を、大きな不安と一緒に吐き出した。

薬を飲めば、私の感情の波は、普通の人間と見分けのつかぬ、プラトーになる。しかし、それはただの見せかけで、本当の私は深く沈んだまま、誰にも見つからず、暗い海の底を彷徨っている。

上を見上げれば、わずかに光が差し込むが、決して私の元へは届かない。何もかもが曖昧で、輪郭が溶けていくような不安。心は霧の中に迷い込み、もがいてももがいても、出口は見つからない。ただ、そこにいる自分が、自分でなくなっていく、その感覚だけが、ひたひたと迫ってくるのだ。逃げ場のない恐怖がじわじわと、確実に、私を飲み込んでいく。


私は「私」であり続けたい。どんなに苦しくても、どんなに弱くても。

今日も、睡眠薬と不安を、無理やりアルコールで流し込み、眠りにつく。
治療の先が、「何者」ではなく、「私」であることを願って。

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