最近、よく昔のテレビ番組を見る。一つは。18時頃やる昭和の歌番組。 もう一つは時代劇である。どちらも見聞きした事があるのに、また見聞きしてしまう。さらに、昔の事をよく想いだす。 この事が何を意味しているのか? 「人生の終着点が近づくと昔の事をよく想いだす」と聞いたことがある。 そんなことが頭をよぎっていると、フッと小学生の頃、死ぬと言う事がとても怖くて怖くて、泣き続け、時が経つとまた同じ事を繰り返し、頭をよぎり泣きとおした事がある。 今、(死)という事に直面しても、さほど恐
嬉しい事が、一つ起きた。 毎日の。1日2回の午前のリハビリの時であった。 3階にあるリハビリ室には多くの人が集う。 だから、「身だしなみには、気をつけて」との看護婦さんの一言。 私のいでたちは、洗いざらしのジャージに、白のTシャツ、その上に濃いブルーのシャツを着ている。 Tシャツの左胸には四つ葉のクローバー。そして小さく足し算。 そんなロゴを、あたかも見せびらかす如く、胸をはだけていると、 見るとは無しに、ロゴに気づき、 「ステキな、珍しいロゴですね?」と 私はおもわず、「妻
9月1日。 いよいよこの病院ともお別れ。あらたな入院生活の始まりを明日に控え入院生活を振り返ってみる。 令和5年12月18日より入退院を繰り返す事3度。明日からの入院で4度目。わずか10カ月の間に4度は、多いのか?いたしかた無いのか?答えは見つからない。しかしながら、いろいろと見聞きし、教えられたことも多いのも事実だ。多くの事に出合い、時にはイライラし、何か釈然としない事の繰り返しだった。その都度、反省し教えられたこともあった❗しかし繰り返しの中で1つ言える事は、反省し教えら
8月31日 むし暑い下界と共に8月最後の日を迎えた。 そして、私もこの病院を残りわずかとなり、何をするでもなくぼんやりと物思いにふけっていると、次から次えと思い出し、シャボンダマのごとく静かに消えていく。 そんなおり担当医の最後とも思える朝の回診。 見るとは無しに話をしていると満面の笑みをうかべて話しているのが印象的な出来事に想えた先生が退出した。 その後、看護師が 「優しいですね」と言ったので、思わず 「え?」っと、言うと、看護師さん曰く 「先生が久々に、終始、笑いなが
8月22日 晴れているのか? いまいちわかりずらい空模様だ。 白内障が悪化して濁って見えるのか? 今、私は病床より空を見ながら他の事を考えている。 それは介護の世界だ。 まるで今見ていた下界のようにどんよりしたものを感じてしまう。 同じことを確認のため何度でも聞かれること。 同じことを聞かれ、同時に同じことを間違える。 また次の人への引き継ぎが不完全だったりすると、イラつく。 例えば、、、 「一人で立ち上がるな」と説明を受けたにも関わらず、ある看護師は自分でオムツをあげ
入院生活をしているとよく見受けられる。 ナースコールを押してベットあるいは車椅子などで、立ち上がらずに介護員を待つ。これが(見守り)の概要だ。 ここでふっと思う、誰のため、何のためかと。 入院する人は、大別して二通り。 ひとつは体の悪い所を治す。 今一つは介護が必要な人だ。 後者には絶対に必要だ。しかし前者はどうだろう? 治療する人によって、描きだすイメージがかなり違いがあるのではないか? リハビリ中によくある光景に先生の一言「ああ、いいですね」 しかし、本人はいまいち、
早いもので、入院生活も2カ月弱ラストランに入り日々の生活を振り返る。朝4時過ぎに起きて、身支度を整え、トイレへとナースコールを押す。 1日の始まりだ。 帰ってくると一人でできる体操を綿密に、時にはそれなりにうけながす。 それが終わるとテレビを見るか横になるかして時間を潰し7時前には食堂へと向かう。 いよいよ楽しい一時の始まりだ。 とにかく腹がへる。 コロナに感染したときは咳がひどく喉がことのほか痛く食欲も無くご飯を半分以上残す毎日だった。 そんな日々が10日位つづき、その反動
よもすると人は、今の幸せ、不自由のない生活に溺れ より以上のものを求める余り 歩み続けたみちを踏み外してしまうこどがある まだみぬ未来へ 未来の担い手の子供らにぶれること無く伝えることを出来るのだろうか? 今一度できるかではなく、やるんだと心に刻む今日この頃である
ここしばらく、夜の帳がおりるころ 聞こえてくる太鼓の音心地よい響きを載せて。 どうやら小倉祇園太鼓の練習らしい。 太鼓の心地よい調べに聞き惚れている。 ましてや子供がたたいていることを知り 心地よい調べを載せて聴こえてくる太鼓におもわず、聞き惚れている。 いにしえの行事・習い事を親から子へと 語り継がれている人々は自分たちの思いその時代の習わしを伝えている。 そのために言葉をつくり、 そして、より遠くへ、より速くと考え伝書鳩、飛脚などを造り出した。 その時代から現代へ 現代か
私が今入院している部屋は4人部屋だが、1人退院したのか3人であった。 2~3日前に1人入室してきてまた4人である。 見るとはなしに見ていると、最初はオムツで下の世話は人任せ。 私もコロナのときは、そうであった。 確かに、いちいちトイレにいかなくって楽と言えば楽。 しかし、日常のことを自分でするか?人任せにするかで (老い)の程度が違ってくるようだ。 息子によく言われた言葉。「髭を剃って、歯を磨いた?」など 日常の事を口煩く言われた事を思い出す。 今思えば、日常の当たり前の事を
今、散髪してもらった。何か心までサッパリと晴れ晴れと清々しい。 「どうゆうふうにしますか?」 わずかな問答で言われるまま 「それでお願いします。」 と答える。 よもすると、受け答えでは言われた事には、だいたい”お願いします”と肯定している反面、自分の想いや意見を言う人もいる。 私はだいたい前者だ。 善悪ではなくひとそれぞれだ。 ただ、自分はどちらが多いか自覚しておいたほうがいいのではないだろうか? 往々にして、ああ、失敗したと思うことがある。 そうゆうことを少なくするように一
今朝オカンから電話があった。 どうやら自転車がパンクしたようだ。 その時の状況、そして、これからどうするかを亊細かに話始めた。 途中で自分の意見を言うと、私の話を聞いてとさえぎられた。 少し時間がたってから考えて見ると まずは自分の話を聞いて欲しかったのだと気づいた。 知らず知らずのうちに、自分にとっては些細な事だと聞き流していたようだ。彼女にしてみれば、自分の話を聞いて欲しかったのだと思う。ささいな事であり、重大な亊を、見逃していたようだ。 本来、いの一番に気づかなければ、