73歳目前の反省

8月22日
晴れているのか?
いまいちわかりずらい空模様だ。

白内障が悪化して濁って見えるのか?
今、私は病床より空を見ながら他の事を考えている。
それは介護の世界だ。
まるで今見ていた下界のようにどんよりしたものを感じてしまう。

同じことを確認のため何度でも聞かれること。
同じことを聞かれ、同時に同じことを間違える。
また次の人への引き継ぎが不完全だったりすると、イラつく。

例えば、、、
「一人で立ち上がるな」と説明を受けたにも関わらず、ある看護師は自分でオムツをあげろと言う。
説明するとならばと上げてくれる、自立させるためあえて手を貸さなかったのか?こちらがどんな状態なのか?引き継ぎも曖昧なのか?いままでの流れを見ていると、言っている事と、やっている事が違うことがある。

人が人を介護する。

その時大切なのはなんだろうか?体験をもとに頭を整理してみよう。

ひとつは信頼と理解ではないか?
お互いに理解することを念頭に話を聞く。
簡単のようでなかなかスムーズにいかないのは、なぜなのか?

こちらは自分の考えてるものを話しているつもりだが、なかなか理解してもらえないもどかしさをかかえ、相手はひっきりなしに鳴るナースコールの音に忙しくて、ゆっくり一人の話を聞いてる余裕が無いのでは?

気付けぱ大きな壁となって立ちはだかっている、一人対無数現実にかかえてる問題にどう立ち向かうか。

今一度ゆっくり考えていかないとゴールが見えてこない。
しかしながら時間的余裕が無い、これがこの世界の現実だ。

いろいろと、述べてきたが今一度思い起こしてみると

相手にばかり・自分の都合ばかりを求め、自分では何もしようとはしない

ある程度理解しているつもりだが、勝手極まる行為であったようだ。
言われた事の範囲のなかで自分でできる事をやっていく。
どこまで、というさじ加減が曖昧でわあるが

その見極めこそが入院という本来の見極めに繋がる気がする。

悪くなった所を治すだけでなく、1人よがりでなく、日頃の日常生活に戻すために自分自身をコントロールしていく。
このところを忘れかけていた73歳目前の愚かな年よりの反省のひとこまであった。忘れそうになったら何度でも自問自答して歩んでいこう。

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