黙々と確実に。

最近、よく昔のテレビ番組を見る。一つは。18時頃やる昭和の歌番組。
もう一つは時代劇である。どちらも見聞きした事があるのに、また見聞きしてしまう。さらに、昔の事をよく想いだす。
この事が何を意味しているのか?
「人生の終着点が近づくと昔の事をよく想いだす」と聞いたことがある。
そんなことが頭をよぎっていると、フッと小学生の頃、死ぬと言う事がとても怖くて怖くて、泣き続け、時が経つとまた同じ事を繰り返し、頭をよぎり泣きとおした事がある。

今、(死)という事に直面しても、さほど恐怖心は無い。むしろ生きたいと思うと同時に、このままで良いのかと強く心に響く。良いのか悪いのか、何が気になるのか、思い起こして見ると、過去の自分が存在しなければ、今の私は存在しない。これが事実ではあるが、過去と現代を結びつけるものが何もない。それぞれの時の自分は、紛れもなく私である。今と昔、何の繋がりも無いならば、どれが本当の自分なのか?わからなくなる。ならばここで未来と現代に置き換えてみよう。

現代を構築している物体の中心には、紛れもなく私がいる。その周りに磁石に引き寄せられた如く多くの点がひしめき合っている。そしてひとつの物体を為しているのである。しかしながら、近い将来、時が経つと同じ物体ながら中央にいるのは私ではない、息子達であり孫かもしれない。そしてその周りに多くの点がひしめき合っている。

そしてその片隅にひっそりと肩を寄り添いながら、2つの点がみえる、それこそが私と妻であり、時の流れに流された自然の姿ではないだろうか。時の流れに流され、多くの時間が過ぎ、ここで未来と現代が、各々の点であった物が、線へと結ばれるのである。そんな未来に、息子達、孫達が各々人生の岐路に直面した時に
「昔オヤジがこんなことを言っていた、こんなふうに生きていた」と
想いだし、自分なりの結論を出す参考になればと。
それこそが私の生きざまではないだろうか。

できることに文句を言うではなく、黙々と確実にこなしていく。
その姿勢を見た子供達・孫達が、また同じように未来へ向けて繰り返す。
それこそが未来に、平和と生きる楽しみを伝える近道ではなかろうか?
そう思い、そう信じ我が道程を歩み続けて行こう。

#未来のためにできること

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