パラダイムシフトを超えて〜アウトソーシングへの極私的考察〈+LEON〉|コラム
noteサーフィンを久しぶりにしてみて、
気になるnoteがありました。
↓ ↓ ↓
《エッセイ|何でもアウトソーシングの時代》
常々、「ジェンダー問題」や、この
「アウトソーシング問題」は気になっていたので、この機会に山根様のnoteをお借りしながら、極私的な考察を
改めて進めたいと思います。
1,知識のアウトソーシング
現代はスマートフォンを始めとする、モバイルに出来そうなシンクタンクが
当たり前に生活に結び付いている時代です。
場合によっては自分の力以上の頭脳が誰でも手に入りますし、AI(詳しくないですが)だと知識だけでなく、卓越した技術も身に付けることが出来ます。
私の場合を省みても、知識のアウトソーシングは本当に心強いです。
(勿論情報の精査/選別は必要です)
歌が上手じゃなくても、文章を伝えきれなくても、携帯の中のあらゆる音楽/雅文(日本語に限らず)/映像などを引用して組み合わせることで、自分の中の複雑な想いが表現しやすくなっている気がします。
知識のアウトソーシングに、何が必要なのか?―――私の考えはこうです。
“add the final touches.”
「最後に手を加えること」。
これは人間でないと出来ませんし、
100人居たら100人の異なる仕上がりになるでしょう。
✢【参考MANGA】
▶サイバーパンク桃太郎/Rootport
全編AIのMANGAです。
アートに分類されています。
(おわりにRootport氏の創作秘話が
あり、そこが抜群に面白い!)
⚠️ほとんど無料で読めます。
↓ ↓ ↓
2,人材のアウトソーシング
以前、ハローワークの職業相談/紹介業務を担当していました。
あまり大っぴらに言える話ではないけれど、再就職の紹介業務をしながら感じたことがあります。
派遣/請負を採用することを社会が容認したのは、もしかしたら日本の勤労精神、社会の構造を崩壊させてしまったかもしれない、という実感でした。
メリット/デメリットあるでしょうが、
日本は終身雇用の中で、忠臣蔵の時代から「滅私奉公」、「愛社精神」の風土が根付いていたように思います。
それが派遣/請負業務を採用して姿を変えてしまうことで、モチベーションが大いに削がれてしまっていると感じました。
但し。
終身雇用制度自体は、現代社会ではもう所謂「オワコン」=終焉を迎えてきているようです。
企業側も、被雇用者側も、相手にすべてを委ねてひとつの未来を創造することより、もっとdrastic(思い切った)な動き方を選ぶようになってきているようです。転職は、置かれた場所で咲かせることができる、または大樹として育ちゆくのならば、何ら躊躇うことなく駒を進めても良くなってきています。
柔軟且つ自由な風潮のパラダイムシフトは、個人的には好ましいと考えております。
極私的意見です。異論は多いでしょう。
私が「人材のアウトソーシング」について思うことを飾らずに申し上げるなら、以上のように考えております。
3,人間性、人体のアウトソーシング
山根様の記事では、「不妊」「臓器提供」「性売買」について述べられていたと思います。
ここでも、極私的意見を順番に挙げさせて頂きます。
内容としてはとくにintimate(私的な)ものになりますが…
☑️不妊の問題
これは想像の範囲ですが、もし、自分が不妊問題に直面したとしたら、できる限りの医療の助けは借りると思います。愛する人の生命を身ごもりたいと思うのは、自分にとっては自然ですから。
神様の采配で、それが能わないなら、
おそらく家族の合議の上で養子縁組の道を模索するでしょう。
温かい家族の温もりを、身寄りのない子どものひとりとでも分かち合えるなら、それがお互いのために良いことだと思うからです。
✢【参考MANGA】
▶Sunny/松本大洋
孤児院で過ごす切な過ぎる子どもた
ち。
松本大洋氏の自伝的作品。
↓ ↓ ↓
☑️臓器提供の問題
実際に過去に「臓器提供の意思確認カード」のようなものが配布されたことがあり、【提供の意志あり】にマルを付けました。
自分の生命がなくなったあとも誰かの役に立つのは良いことだ、とその頃は純粋に思ったのですが、身内を亡くし続けて。
「湯灌をする」という習わしを、noter様はご覧になった経験はお有りでしょうか?
亡くなった人の遺体をお湯で綺麗に清めることです。その後、髪を整えたり、女性なら死化粧を施しますが、
このとき臓器提供をしていたら、湯灌は出来ないと想像します。
私は娘に死化粧をしてもらいたいので、今なら申し訳ないことですが、
臓器提供は遠慮させて頂きたいと考えております。
心情的なことを除けば、臓器提供には賛同の意を表明いたします。
☑️性売買の問題
なかなか話題にも上りにくい性の問題ですが、個人的な考えです。
本来は人間のふれあいは愛情に根ざすものであり、愛がなければ、お互いに自分自身を託すことは出来ないはずだと信じます。
理性のない野生の動物でも、「種の保存」だけではなく、雌雄の相性がたしかに存在すると思います。
性を売買する仕組みが成り立つのは、女性である自分の想像で申し上げるなら、情愛を抹殺して
「人の身体を単なる【モノ】として取り扱う」歪んだ枠組みを作らないと適わないように思います。
自分には不要なことです。
(※追記…飽く迄も女性側の視点。
男性側は、性差の問題が有り
歪んだとは一概に言えない)
一方、そういった枠組みが消えてしまわないのは、やはり人間は何処かで
「人の温もり」を求めているのではないかと想像します。
リリカルな一面もあるのでしょう。
文芸作品などには、そのようなテーマを取り扱ったものが存在しますね。
この問題は私ひとりでは論じ得ないと思いました。
✢【参考MOVIE】
昼顔/主演:カトリーヌ・ドヌーヴ
以上、アウトソーシングにまつわる
3つの視点への極私的考察と表明でした。
まとめてみて、(まとまったか?不調で恐縮です)
愛に関する山根様の5つの質問に続き、他のnoter様のご意見をお聞きしたいな…と思うようになりました。
↓ ↓ ↓
参考:《愛に関する5つの質問》
私は前時代的視点に偏っていますので、先進的な発想を知りたい気がいたします。
新しいから正しいか?
個人的には
”je veux dire non.”
(否と言いたい)。
でも思い及びませんが、
“Oui c'est bon.”
(そう、それが良い)。
も存在すると思うのです。
noter様は如何様《いかよう》に
思し召すでしょうか。
✢✢✢
お読み頂き有難うございました!
スキ、フォロー、コメント、シェアなどが励みになります。
フォロワー様への感謝記事は、
なるべく楽しんで頂けるよう
構想しておりますので、
今しばらくお待ち下さいませ。
また、次の記事でお会いしましょう!
🌹おまけ🌹
純愛の頂点のひとつ。
映画【LEON】(Digest)
Sting/Shape of 'My Heart
このジャン・レノと
ナタリー・ポートマンの、
純愛にして悲恋極まりない映画を、
ある国ではペドフィリア(児童性愛)として上映禁止にしたのだそうです。
一体何を観てそうなるのか理解に苦しみます。
――部分しかありませんが、
noter様はどう思われますか?
🌟I am little noter.🌟
♥
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?