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立ち止まれない私を馬鹿と言って

走って、走って、思うがままに走り続けて、ふと立ち止まった。
走り続けた私の足と、体は、とっくに限界だったのかもしれない。
「思いつくままに動ける今が幸せなのよ」と言い聞かせて走り続けていたが、ふと我に返ると自分は今どこにいるのか、わからなかった。何のために走っていたのかも、この先ずっと走り続けていいのかも、分からなかった。

未来を考えることは愚かだ。今の連続である人生を、未来に馳せる時間があるのなら、今を磨く努力、今を最高潮に楽しくさせる努力をするべきだ。

そんな信念を元に、「楽しそう」だけをアンテナに走り続けていた。
でも、きっと立ち止まってしまったということは、そのアンテナを新しくする必要があるということだろう。また、信念も同時に更新が必要なのかもしれない。


楽しそうな道、それを言い訳に自分の心を見誤っていたのかもしれない。本当の心なんて、見えていなかったのかもしれない。走り続けていれば、現実を見なくて済むから。「私なりに頑張っている」という高揚感で、嫌な事から目を背けられるから。

私には、立ち止まる勇気も必要だったのかもしれない。いや、それこそ必要だったのかもしれない。立ち止まり、今の視界を冷静にただ見つめる勇気。何もしない勇気。

私の走りは、現実を見る勇気を出せない罪悪感の罪滅ぼしだったのかもしれない。

水面に光るキラキラを掬っても、キラキラは掬えないように
私の走りは私を救っているようで、救えていなかった。
いつまで走っても、「いつ救われる?いつ報われる?」そんな期待ばかり。

自己満足だから、わたしなりに全力を尽くしているから、そういう言葉で私を隠して、大嘘。本当は期待に塗れてて、ちっとも綺麗なんかじゃない。

本当は、私をとっとと認めて欲しかった。好きと言ってほしかった。
沢山の楽しい記憶を積み上げてしまう前に、早く言って欲しかったよ。




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