能力者バトルx家族ドラマxロードームービー=ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞受賞のドSF傑作、N・K・ジェミシンの《破壊された地球》シリーズ読書感想
ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞受賞の怒涛のSF大作にして傑作《破壊された地球》シリーズ
小説というのは、虚構だ、作者の作った世界をいかに楽しみ、騙され、泣かされ、ときとして反発するかという思考の営みだと思う。だから、すごい小説というか、作品てマジでこの作者の頭の中どうなっての⁉ってなってしまう。
《破壊された地球》シリーズははまさに、そんな本だった。いや、もうこれ以上の仕掛けなんかないはずって思って読み出すと、出るわ出るわ、最後にこんな絵になるの?っていうとんでもない大技を綺麗にピタリと決められる。
気がついたら地面に放り出されて大の字になってぽかんとしてる。N・K・ジェミシンはやばすぎる。もしもこれからこちらを読むのなら、ぜひとも心地よく作者のし掛けてくる技に足を引っ掛けられ、不意打ちをくらい、嘘だろぉ!ってなって欲しい。
ローカス賞、ネビュラ賞、ヒューゴー賞受賞とかそりゃあとんでも三冠しちゃうよねーっというとんでもSFなのである。なかなかに終わらない重厚な物語にどっぷり浸かってみて下さい。
『第五の季節』あらすじ
《破壊された地球》三部作とは、N・K・ジェミシンの書いたSF作品だ。舞台は超大陸が一つあるだけの地球。様々な文明が隆盛を極めるが、定期的に「季節」という大厄災に見舞われて滅んできた。
この季節というのは、要するに不安定な地殻変動に伴う、地震や火山噴火による大規模な気候変動なのである。自然災害に人々は奔走されながらも、帝国を築いて生きている。帝国にはコムという都市共同体があり、様々なカーストが互いに協力し合って生活している。
主人公もこのコムの住人なのだが、話はショッキングなところから始まる。母であり、妻であり、教師である主人公エッスンがある日家から帰ると息子が殺されているのである、それも夫の手によって。
実はこのエッスン、オロジェンという一種の地震や原子を操る超能力者なのである。見た目は普通の人間なんだけど、地震を知覚し、揺れを鎮めることもできるし、大地と自分をリンクして拡大した感覚を得ることもできる。 まさにスーパーな存在である。しかし、この力は感情にも大きく左右されるため、コントロールするのが難しい。例えばオロジェンの赤ん坊が泣くだけで、近所の崖が崩れたり、家が壊れてしまう。人を意図せず殺すなんてもうしょっちゅう。
そのため、エッスンのようなオロジェンという人々は蔑称であるロガと言う名で忌み嫌われている。
夫が息子を殺したのはこのためだ。エッスンの悪い血が入っている、危険すぎる子どもを排除するため。そう子殺しを正当化した夫は、なんともう一人の子どもであるナッスンを連れてコムから逃げてしまう。
ナッスンの身を案じてエッスンはそれまでの日常を捨てて旅に出る。そこに、最大のそして最後の「季節」がやってくる。果たしてエッスンは、人類を襲う未曾有の大災害の中で無事に娘を見つけ出すことが出来るのか。
というのが、三部作の一作目の『第五の季節』のあらすじ。どうですか、これだけでも内容が濃い、重たい。なのに主人公はエッスンだけではないのである。
オロジェンであるがゆえに、実の家族から蔑ろにされてきた少女ダマヤと、中堅のオロジェンとして優雅な特権を享受するサイアンことサイアナイトという、うら若き女性が登場するのだ。
この三人の人生が最後は一つに結集し、次の『オベリスクの門』へ続いていく。のですが、この第一作目の仕掛けに気がついたときの衝撃ったら。やられた!と思う間もなくジェミシンに一本背負いくらって、倒れてたーってくらいの驚きでした。
同じ人間でも、時間の変化や、立場が変わるとこんなにも考え方や、ものの見方が変わるのかとびっくりさせられます。なんていうか、時間の経過をこうやって表すなんて凄すぎない?こんな手があったなんてという驚きでした。
『オベリスクの門』あらすじ
第二作の『オベリスクの門』は主人公エッスンの娘である、ナッスンの行動が一つの柱として描かれる。弟を殺した父との逃避行でどうやってナッスンが、どう父との関係に折り合いをつけるのかハラハラしっぱなし。
ただでさえ弟を殺した父親と逃避行するだけでもストレス溜まるのに、このナッスンもエッスンと同様にオロジェンなのである。しかし、その事実を父は知らない。ナッスンは実の父に対して自らの力を隠さなければならない。容赦のないスリルにずーっと読み手は奔走される。
切ない気分になるのは、主人公であるエッスンとの親子関係だ。オロジェンの力を持つ母はエッスンに対して、理想的とは言い難い母だった。未熟なオロジェンであるナッスンの力をコントロールするために、エッスンは母である前に、厳格な教師でなければならなかった。
だからこそ、恐くて、強権的で、絶対的な恐怖の存在としてエッスンはナッスンに想起される存在なのである。これに対して、父は普通の人間だから、エッスンに対して無邪気で優しく接してくれる。だからナッスンはこの父親が大好きなのだ、それなのに、その父が弟を殺した。
ここで、ナッスンはなぜ父がそんなことをしたのか、自分のオロジェンとしての力について子どもながらに考えていく。そして、どうしても行き着くのは母であるエッスンなのだ。
自分がオロジェンという事実を周りに知られず、父と弟と楽しく暮らせて来たのは母がつまるところ自分や弟(この弟もオロジェンで)が動揺して、力を暴走させたときに、必死で事故を防いで来たからだって理解するのだ。
エッスンの過酷とも言える教育のおかげでナッスンは傷つき、辛い思いをたくさんしてきた。だが、それこそが自分を子どもでありながら類稀なオロジェンにしたという事実に、母への見方がナッスンの中で変化していく。
そうなると必然的に変わってしまうのが、普通の人間である父との関係だ。ナッスンは大災害の中で、父と旅をしながらオロジェンを巡る差別、偏見にさらされ、父を始めとする非オロジェンの考え方を学んでいく。
もう、子どもには過酷すぎませんか?と言いたくなる成長物語でに息がつまる。辛い、辛すぎる、でも面白い!と思って読んでしまう。
この二作目は一作目で語られた、一つの大陸の地球の成り立ちや世界観がより掘り下げられる。なんと、この自然災害が定期的に起きる理由があるのだ。それは地球に月がないことに起因する。
それも、過去の人間がやったある行動によって月が軌道から外れてしまったのである。そんなことどうやって出来たの?と思う読者の前に、N・K・ジェミシンは次なる大技を仕掛けてくる。
作品の中に登場する分子構造を知覚し、コントロールする力をオロジェニーと呼ぶのだが、これ実は太古においては科学技術であった。それも、魔法という技術なのである。
は?ちょっとまって?という読者を置いて、物語はそもそもの問題、「季節」の終わらせ方についてを語りだす。待って、待ってよージェミシン、置いてかないでー。そんなところで終わっちゃうの?という怒涛のドラマの中で、第二作は終わる。
『輝石の空』あらすじ
そしてようやく『輝石の空』、三部作の完結編にたどり着くわけでです。娘に会って、「季節」を終わらせようとするエッスンの最後の旅が描かれる。その反対側で、「季節」どころか全世界を滅ぼそうとラスボス化してしまうナッスンの旅が進んでいく。
その理由はナッスンにもかけがえのない人がいるからだ。守護者のシャファである。守護者とはオロジェンの力を無効化出来る力を持ち、幼いオロジェンの子どもたちを引き取り教育する存在だ。このシャファという男、実はエッスンの守護者でもあった。
なんと、ナッスンにエッスンが与えた恐ろしい訓練は実はこの人物がエッスに施した教育そのものなのだ。
そんなやばい人間がなんで一緒に娘と?となる下りは第二作を読んでいただくとして、そんなシャファがナッスンにとってどうして大事な存在になりえるかというと、それは無心で愛情を注いでくれるからなのだ。
その名の通り、何があってもシャファはナッスンを守り通そうとする、オロジェンへの偏見に固執し偏屈になっていく父からも、普通の人々からも。
どんなにナッスンが願っても得られない「普通」であることの感覚を与えてくれる人なのだ。
そんなシャファは、過酷な旅路を行くナッスンにつきそうのだが、道中でだんだんと身体が弱ってしまう。それを何とかするために、ナッスンはとある行動をとると決めるのだ。
当然ながらそのことをエッスンは知ることはない。それでもエッスンは必死に娘に会いに行くのである。傷つき、倒れて、それでも自分の限界を跳ね上げて、好きでもない連中と気がついたら家族になって、ひたすらに娘を探しに行くのである。
それは結局、エッスンが恐ろしい母として、嫌われて、憎まれてでも娘に生きて欲しいと望むから。どれほど娘に嫌われ、憎まれ、真意が伝わっていなくても、エッスンは自分の子どもに生きていて欲しいのだ。
苦しくても、辛くても、それでも子どもたちを守ろうとするエッスンの気持ちに、読んでて胸が苦しくなる。
あんなに拗ねて世界に奪われたって、世を恨んで生きてきたエッスンが、最後に下す決断がこれなのか!という最後の展開。人が時間の中で、様々な経験を経て変化していくその凄さをこれでもかと味わえる。
そして、お互いの気持をろくに知りもせず、あの大変な事件のあと離れ離れになってた母の気持ちをナッスンがどう受け止めるのか。このラスト、ぜひとも読んでみて欲しい。
過酷で、人間の持つ愚かしさと、どうしようもなさを一切の遠慮なく書ききった作品だけど、そこには抗うすべがあるのも教えてくれる。重厚なドラマ、次々繰り出されるジェミシンの大技をくらって、完膚なきまでに叩きのめされる快感を是非味わってみて。
まだまだあるよ《破壊された地球》シリーズの魅力!
ここからはおまけ、私が大好きなポイント紹介。
自由すぎる・繊細すぎる・ザ・天才:アラバスター
主人公エッスンの師匠というか、くさに腐れ縁な恋人になる男アラバスター。自他ともに認める天才オロジェンなのだが、まあ気難しい。
言葉足らずで、いつも疲れ切ってて不機嫌な四十路のおっさんだ。田舎者のエッスンと相性が悪いこと悪いこと。なのに、なのにですよ!このおっさん超かわいいんです。
作中明かされる彼の生い立ちを知ると、いかに彼が虐げられて、傷ついてきたのかって思えば、この気難しさも仕方ないなってつい優しい目で見たくなっちゃうんですよ。
そこに、自分より20年下の若い男にぽっと顔を赤らめちゃって、でも恥ずかしくって誘えないっていうこじらせが発動されるんです。何これ、超かわいいんだが?ってなる。
天才ゆえに、気遣いが皆無で、傲岸不遜で、一作目の最後にお前なんちゅーことを!というとんでもをやってくれる。アラバスター、最高です。
生きる彫像?不気味で謎な石喰いたち
《破壊された地球》の世界に存在する人間ぽいけど人間じゃない存在たち。見た目は人間なんだけど、身体を構成する組織が全て鉱石というまさに、生きた彫像である。
大理石や珪石やルビーとかで出来た等身大の彫像がスローモーションで動いてる。でも視界から外れると、次の瞬間自分の間近にいる。そんなマジでホラーゲームみたいな動きをする存在です。
一作目から登場するけど、最初から最後まで不気味で素敵です。
無敵で、うざくて、面倒だけど、やっぱり好きになっちゃう旅の仲間たち
この作品は作中ずーっと旅のしっぱなし。実に色んな人たちが登場するんだけど、特に二作目から出てくるエッスンが出会う旅の仲間はもう最高だと思う。
オロジェンと普通の人々が協力し合う、異様で、それでいて新しいコムのリーダーであるイッカに、マッドサイエンティストのトンキー、頑固ででも誠実で辛抱強い医者のレルナとか。
誰も彼もが癖が強くて、エッスンとしても別に彼らと気が合うわけじゃない、けれど生きてくためには仕方がないと協力していく。その過程でね、丁寧にエッスンが自分を見つめて、世界に対しての考え方を変えていくのがすごくいい。
個人的には女酋長でもあるイッカとの友情が大好物です。昔のドラマにあった、夕日の見える丘で殴り合ってからの「お前強いな」「お前もな…」な、あれでです。
惰性、本気、その場ののりと勢いでと様々な形で描かれる関係性
今作の魅力の一つは、登場キャラクターたちの恋愛や関係性が色んなパターンで描かれているところ。
アラバスターは女性といやいや関係を持ちつつ、素敵な男が大好きだ。(アラバスターは超天才の才能を残すために、帝国から世継ぎを作る義務を課せられているで、女性と定期的に寝なければならない)
トランスのトンキーは恋愛より自分の研究命で、名実共にトラブルメーカーだ。そこに付き合うフジャルカは辛抱強くて、あんなの何がいいんじゃって思っているエッスンが笑える。
尊敬されるリーダーであるイッカは、ムードを壊さないからという理由で恋人にするなら女がいいという意見の持ち主。でも、セックスしたいだけなら男もありとう言うバイセクシュアルだ。
主人公エッスンに想いを寄せるレルナだって、辛抱強くて健気で一歩後ろ引いてる系の男である。
なんというか、従来のジェンダー観をいい感じに揺さぶってきて、楽しい。あ、今こんなとこにいるのねって。
そんな感じでなにせ3冊分の感想を一気にまとめて書いたので長くなったけど、読み出せば、一気に読んじゃう楽しいシリーズなので、ぜひ長期休暇のお供にでも。一緒にジェミシンのとんでも技に投げられましょう。