作者の語りに奔走されろっ‼面白すぎてついてけない『人生ミスっても自殺しないで、旅』
考えるなっ感じろ!
説明の仕方が難しい物事がある。直感に反する物理法則や、数学の理論やら、デリバティブの運用原理とか、どうしてネトフリ開いた瞬間にみたい映画忘れるのか、とか。
例えばこの本の魅力とか。『人生ミスっても自殺しないで、旅』は魅力的な本だ。だけども、いかんせんどこかいいのか説明しにくい。どんなに説明しても、結局は自分で食べてみないと分からない、初見の変わりモノメニューたいなものだ。
自殺するより、旅がよいってタイトルですが
タイトル通りの本である、人生詰んだ!自殺してやるぅー!でもその前に、旅行でも行っておくか、という経験をまとめた紀行本である。だよね?
と、ついつい筆者諸隈氏の饒舌な文体を真似したくなってしまうくらいには癖が強くてぶっ飛ばされる。
落語の語りのような生きのいいリズムに一気に乗せられて、うっかり読み出すと、手放すタイミングを失うので要注意。
自殺しないで旅するのがいいよ、死ぬな、的なお説教は一切ない。著者が師事してやまない哲学者ウィトゲンシュタインを巡って、ヨーロッパのあちこちを巡るのだが、正直あまり紀行としての内容は頭に入らない気がする。
この本の一番の魅力は、時系列よりも、名所の紹介よりも、話がそれたらそれまくり、下手をすると戻って来たら何を話してたか忘れてしまう、その語りの奔放さにある。
おいおい、どこに行くんだ!と突っこんでいたらもうアウト、見事に諸隈節の罠にハマっているわけである。
ほとばしる教養の力、本筋に戻ろうとしてもどんどん脇道にそれていく仰々しい、ペダンチック全開なウィトゲンシュタイン巡り。
はっきり言って、この本を読んだからって哲学者ウィトゲンシュタインの生涯が分かるわけでもなく、その理論の概要が理解出来るわけでもない。
でも、それが暴力的に面白い。頭の回転早すぎて、ついていけない人のおしゃべりをずーっとラジオに流しているみたいなライブ感がすごく心地良い。
無駄であることの素晴らしさ
この本の魅力の一つは読後の心地よさだ。素っ頓狂に暴走する語りに身を任せている間に、ちょっとした悩み事なんて忘れてしまう。
自殺してやるって思いつめてるはずなのに旅行に出かけて、あげく自分の好きを追求しまくる、逆説的な生命の力強さを地でいかれてしまうんだもの。そりゃあ読んでて暗い気持ちになんかなれやしない。
むしろ、毎日出先でどうしても入浴したくて、泊まる場所を探す度に呪文の様にバスタブ!と連呼しまくって、挙げ句シャワーしかないと凹んだり、各国のコンセントの形状を考察しつつ、充電の危機におののく筆者に声を立てて笑うのを禁じ得ない。
この本は、無駄であることの美徳に満ちている。読んでて何も役立たない。
教養が身につくわけではない、ご丁寧な注釈もついていない。ウィトゲンシュタイン、ヴィトゲンシュタインのニュアンスの差異、発音を巡っての著者の考察を読んでも、だから何だと言いたくなる。
でも、読めば面白くってやめられない。ご飯じゃなくってお菓子の魅力。
お茶かコーヒーでも添えて、ちょっと人生ひと休み、肩から力を抜いて楽しみましょうよ、という余裕を持つ楽しみ。
ちょっと人生に疲れてる?嫌なことがあった?なら、ちょっと諸隈節を聞いてみませんか?あっという間に笑い転げて、リラックス出来ることうけあいだ。
真面目な話、哲学と自殺とウィトゲンシュタインって?
哲学において深刻な問題は一つだけ、それは自殺。というのは誰が言った言葉だったか。著者が愛してやまないウィトゲンシュタインも精神的な浮き沈みが激しく、死ぬ死ぬと大騒ぎする人だったらしい。
この本の著者も人生に息詰まって死にたいと希死念慮が強くなった。それでもなぜ人は生きるのか?
という難しい問いは、実際読んで頂いくとして、この本を読んでて関心してしまうのは、ウィトゲンシュタインの七転八倒な人生っぷりである。
交際してた女性の紹介で知り合った三十一歳下の青年に夢中になってその女性と別れちゃった、という下りは目は点になった。
精神的に塞ぎ込んで、転地したら何もかもが素晴らしい!と手紙に書いたのに結局鬱々として凹んだり、終わりなき自意識との戦いを日記に書いてしまっていたり。
失礼承知で申し上げるが、おたく大変だったのねぇ!とウィトゲンシュタインの背中をバーンとたたきたくなりたくなるエピソード満載。そりゃ映画にもなってしまうわけだなあと納得。(しかもティルダ・スウィントン様が出ているし)
何ていうか、自意識という厄介な問題を私の5倍以上はこじらして、煮詰めながら生きてそうな印象を抱いた。
何より、この人がこの本の筆者をここまで狂わせたのかと思えば、もっと掘り下げたくなるもので。ウィトゲンシュタインの哲学に手を出すかはともかく、伝記くらいは目を通してみようかなと思う次第。
ウィトゲンシュタインと、ぐるぐるな自意識を巡る大いなる無駄の大冒険、『人生ミスっても自殺しないで、旅』、ぜひと一読を。読めばちょっと世界を見る目が変わる気がするよ。いや、本当に。