タワマン文学#4 渋谷
長野雄司は自分のことを金でしか見ていない女に辟易していた。
先週の金曜日はつきうだに行った。先々週は確か夕月に行った。一緒に行った女はLINEに表示されたena、Akariで漢字も名字も知らない。出会ったのは、長く付き合っていた彼女に浮気された恵太が気晴らしのために開くようになった西麻布の飲み会だった。どこで出会ったは分からないがCA、大手広告代理店の広報担当、秘書などルックスが非常に良い女たちだった。そこから雄司は顔がタイプで話が合いそうな子を選び、彼女たちが行きたい店を餌にして金曜日に誘う。その後は旧山手通り沿いの自宅に連れ込む。3年くらい前までは息抜きとして丁度良かったが、雄司が35を超えた頃から会話の節々に同棲、結婚、子供の人数、理想の暮らし、ママグラマーなどの単語が増えてきた。10年以上働き、社会に飽きてきた彼女たちにとって自身の生活水準を落とさず、むしろ高め、日常に追われない暮らしするためには雄司のようなアッパーエリートとの結婚が前提条件なのだろう。
雄司は女の思惑を感じ取っていた。本当の自分はこうだ、なんて自分探し中の大学生みたいな考えはないし、結婚も一度はしてみてもいいかもしれない。3組に1組は離婚なんて、高校の統計分析もわからない奴が言ったビビットなワードに引きづられるわけではない。ただ、美味いもんを食べるなら、美味いもんを食べたい相手がいいと最近は思っていた。
“また飲み会しよう。アプリで捕まえた子が今度友達連れてきてくれてるって“
午前1時すぎに恵太からLINEがあった。日程次第で、と返答し、スマホを投げる。睡魔に意識を委ねようとした時ふと、少年のような、人には褒められない、いたずら心が湧いた。
右手でスマホを探し、マッチングアプリをダウンロードする。アイコンを決める。写真は表彰後の飲み会、外国人上司との会食、自社HPにマネジャーとして掲載されている写真。全てカメラ目線。
その中で一番地味な、星のや富士に行った時の隠し撮りされた、自然な笑顔の写真を選ぶ。
“渋谷で働いています。仕事終わりの飲み友募集してます!“
だけのコメント。役職なし。名前や出身はそのまま。必須項目の年収は「~500万円」にした。審査画面に進んだことを確認すると雄司は目を閉じた。
翌日には審査結果が通達され、アプリが利用できるようになった。
夕方のMTG後に弄ってみたが、全然マッチしない。始めたばかりだからと言い訳しながら、内心顔もぼんやりとしか分からないなら女の基準は年収かと口角が歪んだ。
予想外の出来事はアプリをダウンロードしたことを忘れていた4日後のことだった。早朝のグローバルMTGが終わってスマホを見ると、アプリの右上に赤丸に白抜きの1がついている。“マイコさんからメッセージが届いています“
“はじめましてでこんな質問でごめんなさい。もしかして雄司さんは富山県立石動高校ご出身ですか“
雄司は面食らった。マイコのアイコンを見る。自撮り写真が一枚。同い年で出身が富山。見覚えがあった。3年のクラスの時、席替えで一回隣になった時に1ヶ月程度話した瀬川麻衣子だとと直感的にわかった。
こうして、長野雄司は17年ぶりに瀬川麻衣子に会うことになった。
翌週末、雄司は道玄坂を登りきったところにひっそりとある創作和食屋でのカウンターで麻衣子を待っていた。待合せ時間にぴったりに麻衣子はきた。
「お待たせ。こんなよさそうなお店、あんまり来たことなかったから、道に迷いそうだったよ。」麻衣子が隣に座る。
雄司は、麻衣子は西麻布の飲み会には縁がないだろうな、と思った。染めてから時間が経ったミディアムヘア、肌の露出も多くない。バックは数年前に流行っていたブランド、アクセサリも安そうだ。
「雄司くん、高校時代とは別人だね。おしゃれだし。こんなお店よく知っているね」麻衣子は本心から伝えた。
そんなことないよ、と言いながら雄司は、吹き出しそうな自嘲を堪えた。今日のためにわざわざユニクロで上下揃え、履き慣れた特徴的なガンチーニのローファーではなく、スニーカーを履き、財布からはブラックカードを抜き、現金を多めに入れ、客単価が7,000円くらいの店を探した。新卒のデートか、と内心楽しんでいた。
2人はビールで乾杯し、10種類の小鉢がぽつらぽつらあるプレートを味わいながら、昔話をした。
「雄司くんって私たちの代から慶應に合格した有名人だったよね。今は何してるの?」
「あぁ、そうだね、受験勉強頑張ってさ、慶應に行ったけど、遊んでばっかりで就活失敗しちゃってさ。今は電機メーカーの子会社で営業やってるよ」
いやいや十分すごいよ、と麻衣子はは反応した。麻衣子は高校卒業後、県内の大学に行き、石川に本社がある雑貨屋に勤めたが、安月給とシフトの融通が効かなかったこと、将来のキャリアビジョンが見えなくなったらしく、意を決して営業未経験でも可能な東京のメガベンチャーを転職し、契約社員として働いているらしい。住まいは小田急の快速急行で4駅目の神奈川県に住んでいるらしい。ただの田舎者が暮らしていくには東京は苦しいねぇと笑った。
「雄司くん、本当に印象変わったよね。高校の時はずっと勉強してて、誰とも話すタイプじゃなかったのに。体育祭も文化祭も3年次って休んでなかったっけ?年末くらいからほとんど学校にきてなかったイメージあるよ」
「そうだったっけ。高校時代のことなんてもう憶えてないよ」
雄司は種明かしをした手品をもう一度行っているように感じた。いつもなら高校時代の話は会話のネタにならない。仕事の話をし、相手の愚痴を聞いて、適当に相槌を打っているが、麻衣子は自分の知っている雄司と今を照らし合わせてくる。別に過去を消したいわけじゃないが、あまり会話が弾むようなものじゃない。3杯目は白州のハイボールをオーダーした。
「麻衣子はなんで連絡くれたの?そこまで俺たちって仲良くしてなかったよね」
「まぁそうだけどさ、アプリ出てきた時に、私ちゃんとお礼言えてなかったなぁって思いだして。憶えてないと思うけど、私が放課後に英語の追試を受ける時、15分くらい教えてくれたの。その結果もあって合格できて、翌日お礼言おうと思っていたけどタイミングなくて。ううん、なんかちゃんとお礼をいうのが恥ずかしくてさ。ちゃんとお礼言いたくて。ほんとありがとう」麻衣子は両手を膝に置き、雄司を向いて深々とお礼をした。
「いやいや、そんなことどうでもいいよ。」
「どうでもよくないでしょ。あなたにとっては何気ないことでも、私は本当に助かったの。そういうの大なり小なりあるでしょ。ほんとありがとう」
「いや~そうだっけ。そんなのいいよ」麻衣子が当時学級委員をやっていたことを思い出した。
「そうやってカッコつけようとするの、昔と変わらないね」
「え」
「押し付けるわけじゃないけどさ、感謝されたらうれしくならない?雄司くんだって私に感謝されたくて教えてくれたわけじゃないでしょ。人からの好意って大切にした方がいいんじゃないかな」
雄司はめんどくさいことを、と思いながら、すとんと心に落ちるものがあった。「そっか。すまん、どういたしまして」雄司は麻衣子に手を差し出し、それでよろしいと笑顔の麻衣子と握手をした。
その後、麻衣子は赤ワイン2杯飲みながら会社の愚痴を吐いていると船を漕ぐようになっていた。雄司は会計を済まして道玄坂でタクシーを拾った。麻衣子だけを乗せ、運転手に2万円を渡す。麻衣子は酩酊していて、ごめん、今度返すとうわ言のように何度も呟いてた。大丈夫だよと扉を閉め、首都高方面に走り出したタクシーを見送りながら、飲み足りなかった雄司は松濤倶楽部に向かって歩き出す。
雄司は今日の出来事を反芻した。クライアント、上司からの賛辞や感謝は金という形で自分に返ってきている。それで良いのではないか。そうだ、俺と飲みたい女たちも、自分の欲ばかり話している。そもそも俺のことは考えていない。違う、俺がそう仕向けていないか。何かを与えるなら何かを返してもらうことを考えていないか。性欲を満たすために食と金を餌にして女を利用している。
金しか見てないじゃなくて、金だけ見てくれた方が楽だ。
そんな結論に辿り着きそうになり、思考を止める。そんなんじゃない。
夜の空気深く吸い込む。右手を見る。さっき麻衣子と握手した手だ。ふと、今日の飯は美味かった、と思った。それが何故かは分からない。しかしめんどくさいことはやめようとアプリを消去する。麻衣子との連絡はLINEに移っていた。ブロックするかどうか。ただブロックしてもあの学級委員はなんとかして俺にタクシー代と飲み代を渡そうとするだろう。めんどくさいな、と呟きつつ、雄司は自分が笑っている事に気づいた。
寝酒を求めて松濤倶楽部の重厚な木製ドアの取手に手を掛けた。
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