【エッセイ】いくつになっても好きなことの勉強は楽しい
創作や執筆に勉強は必要ないと思っていた
学生時代、勉強が楽しかった人もいれば、苦労して楽しいどころではなかった人もいるだろう。
私は両方だった。国語や社会などの読解系は楽しかった。逆に数学や物理や化学などの、式を覚えないといけないものは苦手だった。好きだと思える勉強は楽しかったし、好きだと思えない勉強は苦手だったのだ。
国語の中でも現代文は、勉強という意識もほとんどなかった。日常使用する言葉での常識的な知識の習得に苦労は感じなかったし、苦労や努力をして身に付けることが勉強、という感覚だったからだ。
楽しかったが、既に勉強という感じではなかったのだ。
私は小説や詩を創作したりエッセイを書いたりするが、それは小・中・高の学校での、国語の現代文の授業で学んだ範囲の知識によるものだ。とは言え、それは最低限のものでしかない。
ある域を超えると、数をこなすしかないと言われる。ましてや、国語は正解が1つとは限らないとさえ言われる。そういう意味で文学的創作や執筆とは、正解を求めて行うものではないように思えた。
それゆえに、それ以上の勉強を求めないで来た。文学的創作や執筆に関して、もう勉強は必要ないと思っていたのだ。
我流創作を続けて来た私のコンテスト応募
そんな我流創作を行う私に転機が訪れた。
偶然見かけた上記の記事。note内で「第3回THE NEW COOL NOTER賞」というコンテストが行われるとの知らせ。参加者には全員講評が行われるとのことだった。
私は参加したいと思った。今までざっくりとした感想をもらったことはあっても、コンテストに応募して講評をもらったことはなかったからだ。
他者の評価を受けることは恐かった。そもそも我流でやって来た私の作品が本当に作品足り得ているのか、という不安もあった。厳しく批評される可能性もある。
しかしそれでも、講評がほしい気持ちの方が大きかった。真に成長したいと願うなら出会ったこの機会から逃げるべきではない、と思ったのだ。
私は参加を前に必要事項を調べた。その過程で書き方講座的な記事が目に留まった。これは読まなければならない、と思った。ずっと我流で創作して来た私だからこそ、だ。
以下がその記事の数々だ。
この先にも分岐は多数あるが、取りあえずここまでにしておく。
全部目を通した。そして、自分が知らずにいたことの多さに驚かされた。
それは言葉にするなら、「そうだったのか」とか、「うわ、それ全然知らなかった」とか、「今まで〇〇と思ってたけど、本当は△△が正しい使い方だったのか」という感じで、とにかく新発見多数だった。
新たな知識の吸収はとても楽しく、それは有意義な時間だった。それと同時に、文学的創作や執筆にもう勉強は必要ないと思っていた、これまでの自分を恥じた。勉強すべきことは、まだまだたくさんあったのだ。
私は新しく得た知識で頭はパンパンだったが、取りあえず注意しながら、1作品小説を書いてみようと思い取りかかった。上限は3000字。
しかし書く内に話が膨らみ、3000字をオーバーしてしまった。何度も読み返し修正し3000字に収めようとしたが、どうにも収まらない。
私は、無理矢理3000字に収めるために大幅カットを行うか、このまま3000字オーバーの作品に仕上げるかの選択を迫られた。結局無理矢理カットをする気持ちにはなれずに、3000字オーバーの作品として仕上げる決断をした。
それは、「第3回THE NEW COOL NOTER賞」文芸部門への、小説応募の断念を意味していた。この時点で締め切り3日前の状況であり、残りの日数でもう1作品小説を書く気力はなかったのだ。私は有意義な経験に感謝しつつ、「第3回THE NEW COOL NOTER賞」文芸部門への参加を諦めていた。この時までは。
しかし翌日、締め切り2日前に偶然上記の記事を見かけた。最初に見た応募要項詳細(全体スケージュール)だけで私の意識は完結していたために、この文芸部門募集要項が目に入ってなかったのだ。
この記事により、過去作品でも応募可ということがわかった。しかしそれでも、3000字以内の過去小説作品は2編しかなく、そのどちらもが、新しく得た知識の前では見劣りしているように感じ、出品する気持ちにはなれなかった。
しかし、小説は無理でも詩なら可能ではないか、という考えが浮かび、あらためて募集要項の詩の項目を確認すると、「さまざまな心の心象風景を、どうぞご応募ください」とのみあった。3000字以内の心象風景、という以外に詩に縛りがないのなら、まだ諦めるのは早いかもしれない、と思い直した。
私は詩の過去記事の中で1番多くスキを集めた2編の内、心象風景を記した1編を選び、新しく得た知識にて部分的に修正を行い、より心象風景感を強調するために作品の末部分に追記を行った。
そして意を決した私は、ついに締め切り前日に、「第3回THE NEW COOL NOTER賞」文芸部門に、詩で応募したのだった。
出品し他の応募者の作品も目にする中で、私は徐々に不安になった。他の応募者の詩には句読点がないのがほとんどだったからだ。
私もメモ帳に詩を手書きしていた頃は、句読点がないのが通常だった。それが、作品を自身のウェブサイトに掲載するようになってから、あった方がわかりやすいかな、と思い、句読点をつけるようになっていた。
今はその状態が自身の通常になっているが、あくまで我流創作だ。句読点をつけたら詩と呼べないのではないか、と心配になったのだ。
インターネットにて「詩 句読点」で検索すると、割と有名な詩人の句読点つきの詩が検出されたので、句読点があっても駄目ではないようだ、と自分を安心させた。
応募作品の講評
その後、作品に対する講評を頂いた。上記の記事内に掲載されている。
短歌の返歌に該当するような詩と、あたたかいコメントだった。厳しく批評されるかもしれないという不安は杞憂だった。とても嬉しく、感謝の気持ちで一杯になった。
このコンテストに応募して、他の応募者や応募作品を目に留めた方から、応募作品にスキを頂くことが続いた。コンテスト応募をきっかけにした交流の広がりもあった。そのような私の想像を超えた2次的効果も、とても嬉しいものだった。
このコンテストに参加して良かったと心から思っている。私にとって本当に良い経験となった。
新たな勉強は始まったばかり
「第3回THE NEW COOL NOTER賞」文芸部門への参加は、私の新たな出発を意味していた。得たばかりの知識は完全には定着していない。実際に自分のものにするために繰り返しの実践が必要だ。
それは努力を必要とする。しかしやり甲斐も感じる。
大好きなことのために勉強する。それは私をワクワクさせる。
もう学生ではないが、いくつになっても、好きなことの勉強は楽しいのだ。
逆に考えれば、どんな内容の勉強も、好きだと思う要素があれば、楽しく取り組めるのかもしれない。
私の新たな勉強は始まったばかりだ。
この記事にて、第3回『THE NEW COOL NOTER賞』エッセイ部門特別賞を受賞しました。
大変ありがとうございます。
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