沖縄キュイジーヌ#3 観光客にまなざされた沖縄料理|Studies
論点の整理
以上の歴史や特徴をふまえ、観光の視点からみた沖縄料理へと論を進めよう。
食の分類において、「生存のための食」と「芸術性の高い食」を分かつとらえ方があり(石毛直道1999年「食における芸術性」を参照)、これにのっとるなら観光の局面で求められるのは後者であるから、沖縄料理にも芸術的な要素、ファッション的な要素は不可欠なはずだ。しかしながら、沖縄の日常は観光的非日常を内在化して構成されている部分もあり、そうした混血された現実は粗野な要素、雑多な要素も包み込むものである。つまり、高級なものと素朴なもののはざまにあるのが沖縄料理なのである。
はざまという点では、「チャンプルー」という言葉があり、料理用語としては具材を混ぜ合わせる炒め物に対して用いられてきた。中華風、和風、アメリカ風の味覚を取り込んできた沖縄料理の歴史も、このチャンプルーという言葉で代弁される。が、用法はさらに拡大し、「混ぜ合わせること」とか「ミックスすること」などの意味を必要とするあらゆる場面に敷衍されている。雑種であることはここでは劣等感ではなく優越感をもって語られ、それはいまや沖縄のアイデンティティとみなしうるほどである。
高級さと素朴さに加え、このような多面性あるいは混交性は、沖縄料理の差別化につながるものと考えられる。観光客に食事を提供する場においてこれらの要素はさまざまに操作され、味覚以外の感覚器官にも訴えながら、次のような沖縄キュイジーヌの現実を構成している。
高級さの演出
料亭もしくは琉球料理と看板に掲げた飲食店は、観光ばかりでなく商談などにも用いられ、もっぱら高級というイメージがある。品書きには「王朝料理」や「宮廷料理」と付言されており、王国時代からの歴史的正統性が強調されている。
だが、それよりも明示的な仕掛けはやはり芸能のパフォーマンスであろう。踊るのは女性ばかりで、紅型の打ち掛けなど郷土衣装をまとい、座敷にしつらえた舞台で琉球舞踊や民謡のショーを披露する。舞踊のメインは冊封使歓待のための「御冠船踊」がその源流とされる古典舞踊だが、各々の内容は簡素化され、ワンステージ20~30分ほどの間になるべくたくさんの舞踊を紹介できるように編集されている。
芸能と料理のコラボレーションは、例えば本土の料亭や料理旅館、温泉宿でもみられるものだが、沖縄の場合、出される料理が宮廷料理を、踊りが御冠船踊を志向していることが特徴的である。すなわち琉球王国時代に冊封使を歓待していた史実に準拠し、その情況を模倣することで、「料亭=接待の場」という文化的コードを観光客と共有しようとしているのであり、観光客には文化の深い理解が求められている。このような芸能化された宮廷料理は、大規模ホテルなどでも同様のショーが催されるなど底辺は広がっている。
そして、そのホテルでは、また別の高級化も進行している。ホテルは観光客が沖縄料理に出会う場でもある。求められるのは、おいしさはもちろんとして、高級感かつ値頃感、稀少性、メニューの豊富さ、雰囲気などであろう。ただし、多様な消費者が集まるホテルレストランでは単一のコンセプトが継続されることはむずかしく、その意味でホテルの沖縄料理は、異質な要素を加味(チャンプルー)していきながら、その「伝統性」を刷新し続けなければならない。豚肉とイカのゴーヤーXO醤炒め、ミーバイの薄塩炒め高菜風味、琉球南海スープ(イラブウミヘビのスープ)、イカ墨茶碗蒸し、エビ入りウコン餃子ーーこれらは県内ホテルが提供する沖縄素材を使ったメニューの一部である。
地元の食材をフレンチや中華など外来の技術・方法で調理するのはごくありふれたことではある。ただし、前提に「同質化のまなざし」があることに注意したい。異質な要素をシェフが単に加工するのではなく、もともと親和性をもつ素材と調理法、盛り付ける器があたかも混血するかのように融合していくことが志向される。これはおそらく沖縄料理のハイブリッド感覚をよく理解したうえでの対応であり、沖縄の人はこれがチャンプルーであることを確信するであろう。
素朴さと癒やし効果
ホテルとは対極にある民宿の食事は概して素朴であり、経営者の家族がふだん食べているようなメニュー構成であることも多い。食事を目当てに民宿が選ばれる場合、民宿がふつう離島や農村部に立地することもあって、観光客の食へのニーズは「地元の」「自家製の」「旬の」「無農薬の」というキーワードで形容される食材に求められ、昔ながらに調理・味つけすることが望まれる(でも朝食だけは和食の定番から抜けきれない民宿は多い)。スローフードの動きとも同期するような食の原点回帰であり、とれたての食材を使うことで健康料理としてのクオリティが高められている。
会食が基本の民宿の食卓では経営者家族も一緒に食事をとることがあり、そんなときはホストとゲストの境界は取り払われ、民宿ならではの濃密なコミュニケーションが充満する。民宿ユーザーはそのようなホストとゲストの統合性をむしろ歓迎しており、食材や調理法の説明を聞きながら食べることで、味覚ばかりでなく知識としても沖縄料理を消費することができる。そして、より本質的な沖縄の姿に触れることができたと満足するのである。この満足感の背景にはおそらく、家庭料理こそがいまや非日常だと感じてしまう消費者心理もあるだろうと思う。
民宿や安価なゲストハウスもそうだが、最近の飲食店舗では、古い民家を改築する、古建材やアンティークな什器を用いるなどがデザイン的な流行である。赤瓦は1889年以降に一般にも使用が認められるようになったもので、その意味では「新しい伝統」に属するが、いまや沖縄らしい景観の代名詞的存在として認知されている。木造家屋がもつフィトンチッドという木の香りは自律神経の安定、快適な睡眠、肝機能の改善などに効果があるが、このような科学的根拠をさしおいても、古い民家の独特の存在感に人々は安らぎをおぼえる面があることはまちがいないだろう。
注目したいのは、このような癒しの空間認識には「懐かしい」という感情が多くの場合で介在していることである。観光の場面でその言葉が発せられるとき、観光客は空間だけでなく時間をも旅している。視覚あるいは聴覚から感じられる懐かしさは、同時に消費者の味覚も懐古的にさせてしまう。
例えば沖縄そばの場合をみてみると、民家改修型のそば屋がめざすのは「伝統の味」の再現である。手打ちの麺や化学調味料を使わないだしが正しい沖縄そばであり、それを食べることで沖縄らしさとは何かを確かめようとする。本物の沖縄を知らない経営者と消費者が共犯的に創り出すその時空間は、「擬制されたオキナワ」ということもできよう。