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この町はいろんなこだまでいっぱいだよ。|Essay

『ペドロ・パラモ』(Pedro Páramo)というメキシコの小説がある。1955年フアン・ルルフォ作。顔も知らない父親を探す主人公がコマラという町を訪れる。そこでは生者と死者がまじりあい、時間軸がはっきりせず、幻惑的な会話が続く。不思議な世界観に包まれた話だ。

コマラに抱くイメージは「乾いて寂れた町」。小説では雨の描写もあるが、真逆の「陽炎」や「土ぼこり」のような印象に支配されているのは、この小説が魔術的リアリズムの系譜に連なるからだろうか。

ラテンアメリカ文学というと、ガルシア=マルケスやカルペンティエルの作品のように、熱帯の重く湿潤な空気感を連想するだろう。だが、乾燥した気候風土を舞台とした作品も少なからずある。ペルーのノーベル文学賞作家バルガス=リョサの『緑の家』が描くピウラはその代表格だと思う。

乾いてしわがれたラテンアメリカ像は、中米で暮らした個人的な記憶にも紡がれている。

中米の乾季――ジリジリした太陽が薄い表土を温め、空気を砂塵で澱ませている。空は深いコバルトブルーに染まり、風はカサカサとした乾燥音を奏でる。川の水位が下がると大地に亀裂が走っているかのようだ。

乾季に標高1,200㍍ほどの山間の村々を訪ねたことがある。地図にも名前が載らない僻村も含まれていた。

四駆のトラックの荷台に乗り、雨季の鉄砲水であちこちが窪んだ道を走ると、身体が左右に揺さぶられて平衡感覚がなくなる。地元の乗客は揺れる荷台のうえで器用に青いマンゴの皮を剥き、塩をかけてうまそうにかじっている。

たぎった風が皮膚をなでる。灌木の葉が静かに揺れている。

村に着いて最初に目に入るのは、白いモルタルの教会の質素なたたずまいだった。小さな村の小さな目抜き通りに面して建てられているカトリック教会の内部は、外との明暗さで概して真っ暗でひんやりとしている。

こういう場所では商店の建屋の一部が宿舎になっていたりする。バネがへたった移動式ベッドで、身体を沈ませながら眠ることになる。

発電機を止めた後の乾季の夜は静かで、虫の鳴く声がやわらかに響く。夜空には星々が満ち、細い月は淡い光を放っている。その静寂さは、自然の息吹を五感で感じるための余白のようにも思える。

コンクリートジャングルの蒸れた夏の夜が続くと、この錆びるように乾いた暑さがときどき懐かしくなる。

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