第3章#31 働くということ
(約3700字)
「遠慮」と「謙遜」
最近はそうでもないと思うのだが、「美徳」といわれるものに、「遠慮」と「謙遜」がある。
私は、この「遠慮」と「謙遜」が大の苦手である。
例えば、「遠慮」。
以前、義理の父が、我が家に遊びに来てご飯を食べていた時のこと。
私が、義父に、
「おかわりどうですか?」と聞いたら、
「いや、もう結構。」と言った。
そうかと思っていたら、義父に、
「N=^_^=さんは、言葉通りなんだよなあ。」
と言われた。
???
ああ、私は、ここでもう一言、
「そんなこと、おっしゃらず、もう少しいかがですか?」
と、言わねばならなかったのだ。
家族で、これ、必要ですか?
それから、「謙遜」
これは、若い頃、ずっと困っていた。
自分で大したことないと思っていることを、「すごい」と言われたときは、
「そんなことないですよ。」
と、さらっと言える。本心だから。
逆に、私が相手に対し、本当にすごいと思ったから、「すごいですね。」と言ったことに、「そんなことないですよ。自分なんか、まだまだ。」と返されると、なんだかモヤモヤしてしまう。
おや?もしかしたら、私も「すごい」と言われたときに、同じ返しをしてしまって、相手をモヤモヤさせているかもしれない。
また、自分でも、すごいな自分!と思っていることを、
「すごいですね。」と言われたとき、
「そんなことないですよ。」と、心にもないことを言わねばならぬのが苦しい。だって、自分でもすごいなと思ってるから。
「そう、私ってすごいでしょ。」と言いたい。
しかも、「そんなことないですよ。」と返すと、嫌味に聞こえるのではないかと気になってしまう・・・。
もっと、ストレートに生きたい。
初任の学校で、私の1年後に、W先生が新採で着任した。
W先生の返しを聞いて、すべてが解決したと思った。
W先生は、少しでも褒められるようなことがあると、
「いやー、私って天才ですかね。」
「美しさが、そう見せるんですかね。」
「美しさって、罪ですね。」
「やっぱり!私も、すごいって思ってたんですよ。」
と、返す。相手から褒められる前に、自分から「すごくないですか。」と言うこともある。
ここまではできなくても、必要以上に否定して謙遜することをやめれば相当楽になる。
なるほど!
私は、それ以来、「そうですか。ありがとうございます。」とか、「ねー、自分でも驚いてます。」とか、肯定で返すことにした。
本当にそうでもないことを褒められた時には、つい、「そんなことない」が出てしまう。本心だから。
でも、「え、そう見えます?ありがとうございます。」などと、なるべく否定しないで返すよう努めている。
自分が相手に対して心からすごいと思ったことを、謙遜されたときは、「私、本当に思ったことしか言わないんで。」と、正直に返すことにした。
このように、決めて実行していると、周りからは、この人はストレートな人という市民権を得られる。
それが嫌な人は離れて行くだろうが、それはそれでいい。
会話が苦にならなくなった。
ここからが、やっと本題。
給料をもらえることのありがたみ
初対面の人に、職業が先生であるということがわかると、多くの場合、
「大変そうですね。」「大変ですね。」「大変なんでしょう?」
などと、言われる。
これに対し、「謙遜」で答えると、どうなるのか?
「そうなんです。」となるのか?
「いいえ、そうでもないです。」となるのか?
教員になる前に紆余曲折していた私は、教員の仕事のありがたみをとてもよくわかっている。
教員の給料は、皆さんの税金であるから、当然、それに見合った仕事の質を求められる。
その代わり、給料は保証されており、安定している。
私程度の人間が、毎月きちんと給料をもらえ、毎年必ず昇給し、ボーナスは絶対に年2回もらえるのだ。
しかも、役職が上がれば、基本給も上がる。手当がつく。
業績評価はあるものの、教員として働いている人は平等な給与体系である。
夏休みは、勤務であり、子供のようにすべて休みではないが、続けて休もうと思えば休める。
現に、毎年、ボーナスで海外旅行に行くことを楽しみにしている先生もいる。
教員がブラックであるという話が横行しているが、大変さばかりがクローズアップされ、例えば給料一つとっても、安定しているという良さは、案外、知られていない。
敢えてその良さが封印されているように見える。
その原因は、「謙遜」にあるような気がする。
もし、正直に答えたとすると、
「大変ですけど、安定して給料もらってるんで、仕方ないと思ってます。それに、他の仕事では味わえない楽しさもあるんで。」
でも、こんなことは言いにくいから、謙遜する。
というわけで、「大変ですね。」に対して、
「そうなんです。」が、最も相手に望まれるというか、空気を読んだ回答なのだろう。
そして、場合によってはその裏付けとなる大変さを述べることになる。
仕事をしていれば大変なことなんか山ほどあるのは当たり前だから、大変ネタはいくらでもある。
仮に、謙遜したつもりで「いいえ、そうでもないです。」と答えたら、みんな大変だと言っている中で、大変ではないという、あなたが特殊、あるいは仕事ができることを自慢している?と思われてしまうかもしれない。
正直に生きたい。
私は、変に謙遜して、モヤモヤした気持ちで空虚な話を続けるより、他人からどう思われようと最初からスパッと正直に答えることにした。
「そうでもないですよ。」
人の苦労、不幸は話題になるが、幸せ、楽しさは話題にならない。
大変さを引き出したかった相手であれば、そこで話は終わるだろうし、相手が本当のところを知りたいと思うのであれば、本当のことを話す。
これを読んでいて、楽しさのかけらもない、心から大変、給料に見合わないと思っている人がいたら、教員を辞めた方がいい。
そう思われながら、日々授業を受けている子供たちが不幸である。
「やりがい」なんてきれいごとで片づけるつもりはないが、この仕事を悪くないと思える部分があるのであれば、それは謙遜しないで正直に言った方がいい。
残業手当がない?そうですよ。でも、毎年昇給するんで。
夏休み?そりゃあ、子供と同じには休めませんよ、一応勤務なんで。
でも、うまく続けて休みを取れば海外旅行には行けますよ。
ボーナス、必ずもらえるんで。
授業?うまくいきませんよ。
努力はしてますが、そうそううまくいくもんじゃないんで。
大変?そりゃ大変ですよ、仕事ですから。
逆に楽してお金もらえる仕事ってあるんですか?
やばい仕事しかないんじゃないですか?
どんな仕事でも、不満はあるに決まっている。文句は言っていい。
教員は身分が保証されているから、悪いことさえしなければ、ちょっとやそっとじゃ辞めさせられない。開き直ればいい。
不条理なところ、非合理的なところは、裏でブツブツ言っていないで、直接どんどん発言していけばいい。
意見を言って居づらくなったというなら、異動すればいい。
言っても変わらないというのであれば、自分が管理職になって、変えればいい。(「ホワイトな学校へ」を参考にしてください!)
保険外交員の仕事
退職金をどのように活用するかで、数回、保険外交員の方とお話した。
(そうそう、退職金もきちんともらえるんですよ。ありがたい!)
私の担当の外交員は、たぶん30代で、男性、既婚者だ。
で、その方が勧める保険に加入することにしたのだが、加入したから終わりというのではなく、何かご相談があったらいつでも言ってください、と言われた。
でも、これまでの経験から、保険の担当者は、どんどん変わる。
だから、率直に聞いてみた。
「この保険が満期になる20年後、あなたは担当者でいてくださいますかね。」
これまでに何回か話していたことと、保険が成約したことで少し気を許していたのか、彼はおそらく本心であろうことを口にした。
「自分のモチベーションがいつまで続くかにかかっています。」
つまり、彼の雇用要件として、基本給はない。
人と何人話したかで、給料がもらえ、成約するとそれに見合って給料がもらえる、完全なる歩合制だというのだ。
「幸い私の場合、学校を担当しているので、先生方に結構話を聞いてもらえるんでいいんですけど、会社などへ飛び込みで行っても、大抵門前払いですから。」
そりゃそうだろう。なんて、ブラック!
「だから、先生方から仕事なんかが大変だなんて話を聞くと、、残念な感じがするんですよね。」
大学を出てすぐに先生になってしまうと、世の中の厳しさを知らないということもあるのだろう。
半年くらい、企業に出向して働いてみたらどうだろう。
というわけで、何が言いたかったかというと、
楽して給料がもらえる仕事はない
ということ。
私は、私のような者に、34年間、仕事があるだけでありがたかった。
「足るを知る」
という言葉を大切にしたい。
「現在の自分の状況に満足する、今目の前にあるものに対して感謝する。」という意味。
「謙遜」する必要はないが、今の自分の置かれている状況に対して、「謙虚」ではありたい。
長くなりました。
「足るを知る」については、後で付け足します=^_^=
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