ホワイトな学校へ#57 その26 卒業生に向けて
毎年、3学期になると、6年生の教室が独特の雰囲気になる。
6年間という長い年月を過ごした、学舎とのお別れ。
卒業へのカウントダウンが始まり、卒業に向けての各種行事も行われる。
3年前の突然の休校は、本当に気の毒だった。
あと十数回あったカウントが、いきなり0になったのだから。
その後の2年間は、制約がありながらも、これまで行ってきたものは、方法を工夫するなどしてできる限り行った。
そして、今年度、これをnoteにアップする頃には、卒業式目前であろうと思う。(因みに、これを書いている今日は1月11日)
卒業式での校長の仕事
卒業式における校長の仕事は、大きく二つ。
卒業証書授与と式辞。
卒業証書授与は、校長になってよかったと思う瞬間の一つである。晴れの日に、立派に成長し、少し緊張した面持ちの子供たちの一人一人の顔を、真正面から見ることができるのだ。
これは、校長の特権だ。
そして、式辞。
私は、これまで、自分が学校に通っていた頃の校長先生のお話を、何一つ覚えていない…。
自分が教員になってからは、校長先生の式辞を敢えてきちんと聞くようにした。
これまで聞いてきたものは、その年に活躍した方のエピソード、偉人の言葉、などから得た教訓的なものがほとんどであった。詳細は覚えていない…。
式辞への想い
さて、自分が校長になったとき、この式辞をどうしたものかと考えた。
自分がこれまでの式辞を全く覚えていないことを棚に上げ、せっかく一生懸命考えて話すのだから、たとえ5分間でも心に残るような、残らなかったとしても、その瞬間だけでも、ほんの少しでも心が動くような話がしたいものだと思った。
どんなにいいこと、素晴らしい内容であったとしても、自分とかけ離れていたら、心には残らない。
聞いた話を忘れてしまうのは、話の内容を自分事と捉えられないからなのだろうと思う。
そこで、私は、ネタをどこかから引っ張ってくることは一切やめることにした。
1年間なり数年間、その年の卒業生と生活してきた中でのエピソード、その子供たちについて感じたこと、それらから想起される自分のこれまでの体験など、子供たちにとってわかりやすい、身近な題材をネタにすることに決めた。
実は、毎月の学校便りの巻頭言も、同じような考え方だった。
学校で起きたこと、学校に関わる方々のこと、学校経営方針の補足説明などを、自分の体験談などを交えながら書いてきた。
先生方や地域の方から直接感想を聞くことはあまりないが、Y先生に、校長先生の文章はわかりやすいです!と褒めてもらえることがある。
一人の言葉があれば、それで十分。
というわけで、校長1年目の時は、自分の子供も同じ6年生だったので、その思いを話すことにした。
子供たちへの先生方の思い、そして親の思い。
卒業式当日、式辞を述べていたら、職員席でまさかの号泣。
卒業式の後、私が壇上に置いた式辞を、数人の先生方が校長室に届けに来て、式辞で泣いたのは初めてです、と言ってくれた。
本心から出た言葉は、人の心に届く。(卒業生にどれだけ届いたかはわからないが(;^_^A)
昨年の式辞
昨年度の子供たちには、「言葉の力」というテーマで話した。
卒業式が終わった後、担任二人が、式辞のコピーを欲しいと言ってきた。
担任にだけでも、心に届いたのであれば、嬉しい。
と、メインの部分はこんな感じの話をした。
このように、目の前にいる子供たちの思い出やエピソードを使って構成することにしている。
(移動教室の旅館のエピソードとは、食事の時、感染症対策のため黙食をしていたのだが、お代わりを運んでくれる旅館の方に、その都度、小声で「ありがとございます」と言って受け取ったこと。下膳の際は、全員が「ごちそうさまでした」と言い、中には、「おいしかったです」と一言付け加える子も。そして、廊下ですれ違ったときは、必ず会釈、または「こんにちは」など。その礼儀正しさと思いやりのある言葉、態度に、退校式の時、旅館の女将さんが涙を流していた…こと。)
卒業文集へのコメント
6年生は、毎年、卒業文集を作成している。
下書きが終わると、担任は、清書をする前に、私のところへそれを持ってくる。
誤字脱字等の最終チェックと、人権的に不適切な内容がないかどうかの確認のためである。
私は、この下書きに、一人一人コメントを書くことにしている。
内容をすべて読んでいるのに、ただ間違えばかりを直したのでは失礼な感じがする。それに、子供たちの文章を読むと、どうしても自分の思いを伝えたくなってしまうのだ。
例えば、将来の目標を書いている子へは応援のメッセージやアドバイスを、思い出を書いている子には、その子の感じ方への感想を。
これは、結構時間のかかる作業であるが、メッセージを読んだ瞬間だけでも、子供の心に何かが届けばいいなと思って書いている。下書きなので、読んだ後は捨ててしまっても構わない。
よく、卒業前になると、校長が数名ずつの6年生と一緒に給食を食べたりすることがあるが、私は行っていない。(感染症流行前も行っていない。)
子供たちとは、「あいさつ名人」などで、普段から関わってきている。その時だけのイベントよりも、私は、このように、形に残る言葉で、一人一人と関わりたいと思っている。
今年の卒業生へ
そして、今回の卒業生。
入学した時から、6年間、ずっと見てきた子たちである。
この6年間で本当に大きく成長した。
6年前はたどたどしく文字を書いていた子供たちが、自分の考えをしっかりと綴ることができるまでになった。文集の中には、自分が成長したことについて、親や先生への感謝の気持ちを書いている子もいた。
人は、変わることができる。
でも、それは、人に言われたから変われるわけではない。
親や、先生から言われたことは、変わるきっかけにはなるかもしれないが、その言葉を理解し、納得し、実際に行動を起こすのは、自分自身である。
自分で考え、動かなければ、変わることはできない。
「自分を成長させることができるのは、自分自身である。」
そして、完全な人間はいない。
寄り道で書いた、我が師たちも、それぞれコンプレックスがあった。小学校の担任Yo先生も、きっとすごく努力していたに違いない。でも、それぞれ得意分野で活躍していたから、コンプレックスがあるようには見えなかったのだ。だから、「得意を生かしてほしい」ことも伝えたい。
今年の式辞は、これらをテーマに話をしようかと考えている。
このシリーズは、次回#58でひと区切り。#60までです…=^_^=
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