方言が消えた日
テレビの芸能人の話し方を真似をすれば、どうせ喋れるだろうと高を括っていた標準語。
しかし、いざ声に出してみると全く喋れず、上京してすぐに訪れた中華屋で「あの、これ」「はあ」しか言えなかった。
あと4日に迫った入学式。このままでは、大学生活のスタートは無口だ。無口のつまんない女として、4年間の貴重な大学生活をやり過ごすことになってしまう。
最初が肝心なのにやらかした。上京が決まってから、標準語を練習する時間はたっぷりあったのに。
それからというもの、バラエティ番組に出演しているタレントさんのモノマネを家で繰り広げて、標準語を”口に出しながら”練習した。
さらに、近所のお店に積極的に出かけ、店員さんに話しかけるという修行をした。本屋に行っては探してもいない本の場所を聞き、雑貨屋で別に買うつもりもないハンカチの生地の作りを聞き、地元にはなかったチェーンの牛丼屋に4日連続で通って話す練習をした。(バイトを始める前だったので、安い牛丼屋でご飯を済ませられるのは、ありがたかったのだ。)
すれ違った子供に交番はどこかと聞いてみたり、意味もなくスーパーに行きマイナーそうな調味料のありかを聞いて周った。
この努力が功をなして、入学式では1人でいるおとなしそうな子に標準語で話しかけることができ、サークルの新歓でも標準語を披露することができて、たくさんの友達ができた。
それでも、夏休み初めての帰省で戻ってしまった方言は、東京に帰ってきても2、3日直らなかった。そのときにはもう気が知れた友人ができていたので、小馬鹿にされただけで済んだ。関東出身の友達ばかりで、方言自体が珍しいらしく、想像以上に面白がってくれたので。むしろネタになってよかったと感じていたのだが。
そんなふうに私に染み付いて離れなかった方言。心の中の声はいつも方言だった。嫌なことがあって「あーイライラする」「どうしよう、困った」も、喜ばしいときの「やったー!嬉しー!」全部地元で話す独特のイントネーションだった。
そんなある日、ふとスマホで時間を確認する。
「明日早起きやだなあ」
と心の中での何気ない独り言。
……ん?
今の言葉をもう1度。次は声に出して。
「明日の早起きやだなあ」
イントネーションが正真正銘の「標準語」だったのである。