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筍ご飯が炊けるまで

今年も筍をもらった。
天気予報で桜の話題が出る頃に、にょきにょきと顔を出し、毎年誰かしらが堀りに行って私のもとへも届いてくれる。
「どうぞ」と渡された2本の筍は、程よい大きさで、程よくずっしりとしていて、京都からやって来たのだという。
京都からやって来たと聞くと、筍とはいえ、確かに少し品がいいような、ツンとしているような気がしてくるから不思議だ。

私は食べ物をよく貰う人だと思う。
食べ物といっても、素材のままの状態で頂くことが本当に多い。
今年だけでどれくらい頂いたかなと思い出してみると、蛸、鮭、ワカメ、白菜、さつまいも、苺、ポンカン、かき菜、トマト、小松菜、あさりと思い付くだけでこんなに挙げることかできる。
ダイヤモンドは貰えなくても、食材だけは誰よりも貰っている自信がある。どなたかダイヤモンドを下さい。

私に食べ物をくれるのは、圧倒的に年配の方が多い。
食べきれないと考えていたところに現れた私が嬉しそうに持ち帰って、こんな風に調理したよと話すことで、次もあの子にくれてやろうと思ってくれるらしかった。
毎回どっさりと渡されるので、私でも食べきれないだろうことが殆ど。だから私はそれをせっせと調理して、冷凍して、家族や会社の人にも食べてもらっている。
頂いたものを無駄にはできない。それに頂いた食材を調理する時間は、結構好きな時間だから。

しかし、筍は毎年あく抜きの時点でメンタルのやられる食材である。
あさりもそうだけど、砂を抜いたり、あくを抜くって慣れているかつ、時間がないとなかなかのことなんだよなと考えながら、筍を抱えて会社を後にすると、駐輪場で「丁度良かった!これ持って行って!」とプチプチに包まれた何かを手渡された。
ジェーンは一升瓶を手に入れた。重たいよぅ。

菊正宗ぇ。


帰宅して、筍の皮を剥ぎつつYouTubeを検索して、短時間でできそうなあく抜き方法を見つけた。
今年はこれでいこう。
(でもちょっと心配で生米を投入しておいた)

一瞬でゴミ箱が筍の皮だらけだ。
筍と友達だったら私言うかもしれない。ちょと纏いすぎだよって。
火にかける間に出汁も取って、冷ました筍も水に漬けて冷蔵庫へ(あくは抜けていたよ。あくの状態を食べたことがないからわからないのだけど、少し食べたら美味しかったから、きっと)
今日はこれで一旦お終い。

朝、研いでザルにあげておいたお米と、出汁と筍とお醤油、忘れちゃならない菊正宗も釜にぶち込んで、ピッ。炊飯。
ふぅ、やれることはやった。あとは炊飯器の仕事だ。

炊けるまで時間があるから、少し話してもいい?
姉のことだけど、姉は自分でお店をやるんだーって色々勉強してさ、でも私は知っているんだよね。姉は一カ所にずっと居られるタイプの人間じゃないって。姉は勉強したり開業するまでのプロセスが楽しいタイプで、経営者向き。そういうところは父にそっくり。父も何かを始めては、母に丸投げしてたっけ。
姉もそれをわかっているからか、一緒に飲んでいると
「例えば私がカフェやったらさ、あんたみたいな子が店の前を掃いているといいな」とか
「例えば私がスナックやったらさ、あんたみたいな子が黙ってお酒を出してくれると最高だな」って言うの。全部の未来に私が働いているの。
しかも、それは私が美人だからとかそういうことじゃなくて、丁度いいんだって。美人でもなく不細工でもなく、いつもにこにこしている私は丁度いいって意味で。で、酔っぱらうと言うんだよね。
「あー、あんたって本当に丁度いい女」って。
それで、ついに潰れてしまうかなってところで
「私がいっぱい稼いで、あんたも雇ってあげるからね」って言うの。

まっぴらごめんなのだよ。
絵葉書送り合う距離でやっていこう。
それからこの丁度いいって言葉、嬉しいと全然嬉しくないの中間っていうか、何とも言えない気持ちになるのよ。笑

だけど自分が大きなものになって、みんなが困らないようにしようって考えるのはやっぱり長女らしいよね。
みんなにそれぞれの「らしさ」っていうのはあるものだなって。
「自分らしさ」を大切にして、「その人らしさ」を理解していきたいなって思うよ。

さ、今年も無事に筍ご飯が炊けたよ。
いただきまーす。

一杯目は筍大盤振る舞い。
姫皮のとことっても美味しい。
いつかのアサリ。くれすぎ。
頂いたトマトでBLTサンド
お花見に持って行くすんでで撮ったジップロック内。


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